両度の御命日・毎月の寄合
このところ
18日、差別問題研修会。講師青井和成師。会所・西勝寺
23日、八組坊守会。会所輪島市町野町若桑本覚寺さん。
25日、一日じゅう御文の制作年月日分析。
27日、推進員協議会。
ここで130分、話しまくったあと、眠くて眠くてたまらなくなった。
その後は、暇さえあれば寝てばかりだ。
その一方で、来月8日に若坊守会で話する「真宗の精進料理について」の資料をポツポツと集めている。
両度の御命日
その中で、権威あるところから出ている某書に、
「行事として蓮如が重視したのは、11月21日~27日の報恩講、毎月二八日の親鸞忌と一八日の前住・存如忌の法要です。」とある文に出会った。
両度の寄合は法然上人の御命日である25日と28日のはずで、何を根拠にこのように書いておいでるのだろう?
それを知るにはどうしたらいいか?
ということを考え続けていた。
「實悟記(本願寺作法之次第)」39にも、
「一、蓮如の御時は(略)毎月廿五日には御斎は御入候つるときこえ申候。實如の御時は前住にてましまし候間、其わけを不存候き。(以下略)」
とあって、
蓮如上人時代は、法然上人の御命日が重視されていたが、実如上人代になって前住上人御命日の斎となった、と読み取れる。
蓮如上人も25日が御命日だから、25日は、前住蓮如上人の御命日と意識されていくようになったので、蓮如上人期のかなりの部分は25、28日の御命日を意識しておいでたと思うのだが、
何かはっきりした資料があるのかも知れない。
結局、書いた方に聞くしかないと、手紙の下書きを書きながら、
他の本をみていくと、金龍静氏のお書きになった『蓮如』(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー)、『蓮如上人の風景』(本願寺出版社)の「年中行事役」に詳しく載っていた。
それは講頭の具体的な姿で、25日の寄合を否定するものではなかった。
某氏の記載は、ちょっと舌足らずなのだろうと
納得しつつも、あるかもしれない別資料が気になる。
やはり手紙を出そうと、肩書きにある大学職員の名簿を見るが、載っていない。
改めて本の奥付を見ると9年前の本だった。
筆者を尋ねて教えを乞う…はここまで。
再び「両度の御命日」
夕方、金龍静氏に電話を入れた。
新潟においでるとのこと。
留守電に用件を入れておいたら
9時過ぎに電話が入った。
講義の後、ずーと調査しておいでたという。
昔、大聖寺(加賀市)で調査に同行したときの事を思い出した。
細かい作業が続き、時々横になりながらも
調査を続けられていた姿を思いだした。
頭が下がる。
疑問については
詳しく教えていただいた。
今日は、あるお寺でお話し。
もやーとした状態は続いていたが、
帰って、ソファにもたれて寝、
今はだいぶ、もやーが薄らいでいる。