「能登を知る会」公開講座「嶽薬師と能登の薬師信仰」、惣領・蛇池【輪島市】

29日午後2時から、鵠巣(こうのす)公民館(元深見小学校)で、能登を知る会講座を行った。レジメの一部(PDF)
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輪島崎・日和山(ひよりやま)・天神山からの高洲山(20050405撮影。次の写真も)。
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参考:日和山の方角石。年号(享和4年・1804)が刻まれている方角石としては日本最古といわている。


高洲山の嶽開きは5月8日。
高洲山は、観音補陀落淨土、薬師瑠璃光淨土と意識されながら長い歴史を経てきた能登第2の高山(567メートル)である。
山開きは、宝達山が4月23日、宝立山4月24日、門前高尾山5月10日などがあるが、高洲山は特別な意味を持っている。
というのは、高洲山には、戦後、山頂に進駐軍のレーダーが置かれ、後自衛隊に移管された。そのため、一般の人びとが嶽登りが出来る日が限られているのだ。
その代表的な日が、5月8日で、薬師の縁日のその日、特に輪島塗に関わる職人衆が登山し、初夏の日をゆっくり過ごすとされている。
能登の山岳宗教、『梁塵秘抄』の世界、海の修験、そのいずれにも関わる、嶽山(高洲山)の麓で、嶽信仰を現地で語り合おうというのが、今回の講座の目的である。
会員に対しての案内は、13日の宝立山散策と共に案内文を出しており、もう20日以上経っている。
わざわざ車を使って鵠巣公民館までお出でになる方がそうおいでるとは思えない。
公民館近くの人に来てもらえればいいのだが、公民館行事でもなく、こちらの都合で会場をお借りしただけのこと。農業を営んでおられる方が多い一帯で、田植えの忙しい時に当たっている。
でも、前日の28日に、どういう部屋があるのか見に行った時、地区の人が4,5人参加なさるとおっしゃってくださった。
会員が4、5名おいでれば、よしとしようの目論み。


実際は、公民館の職員さん(2人)、私を含め
23人(珠洲7人、輪島13人、能登町1人、職員2人)の方々による勉強会になった。
講義の後、泰澄伝説と深く関わる惣領地区の蛇池(蟹満寺縁起、蟹報恩伝説)を訪ねた。 
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蛇池の名残(中央の池)
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右手、蘆原が蛇池跡。上と下の2つの蛇池で「目の玉蛇池」と言うそうである。
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能登名跡志』に「雨の宮」「風の宮」があったと記されている雨の宮が、このあたりにあったらしい。


新たな試みは、成功だったが、
次の展望が…
思い浮かばない。


5月8日は、午前11時に弁当を持って集まろう、と
今日の参加者には呼びかけ、
門前郷土史の会が珠洲を訪ねたいといっているので、
能登を知る会」との合同開催にすればいいのかな…
と思ったりもするのだが…
しばし、
休憩だ。


写真は昨日、現地を歩いた折に写したもの(今日はコンパクトフラッシュを忘れた)。
「ふるさとを見つめる」「住吉の松の隙よりながむれば…」