庄川~道宗の道~白川街道~飛騨高山(24日・火)

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庄川沿いを上がる。小牧付近。
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平・下梨方面。
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赤尾行徳寺。
このお寺の開基道宗師は、
「一日のたしなみには、あさつとめにかかさじと、たしなめ。
一月のたしなみには、ちかきところ、御開山様の御座候うところへまいるべしと、たしなむべし。
一年のたしなみには、御本寺へまいるべしとたしなむべし」(蓮如上人御一代記聞書45)
とおっしゃり
一月のたしなみには、
当時御開山様がおいでになる(御影像のある)井波瑞泉寺に出向かれた。
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井波~五箇山道をたどってきたのだから
行徳寺さんについた時の感慨はひとしおだった。
当初、城端から五箇山に向かうつもりだったのだが、
道を間違え
井波からの道をたどったのが幸いした。


昔、門徒会研修、その後八組坊守会研修で行徳寺さんを訪ねた折、
お話ししてくださった坊守さんの話が分かりやすく、
その後、話し方の目標にしている。
その坊守さんともお会いできた。


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帰雲城址。
寛正初年(1460頃)に築かれた城が、
天正13年(1585)11月29日の大地震で、城下町と共に一瞬に埋没したといわれている。
大学1年の時、この帰雲城伝説に触れた新聞記事を読んだ。
同じ下宿に郡上八幡・益田出身の先輩がおいでになり、
その人たちと共に、記事の記憶が残っている。
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荘川桜の地。
御母衣ダムに沈んだ中野照蓮寺旧地に向かって合掌する
嘉念坊善俊上人の像。
中野照蓮寺は、現在高山城址に移築。
高山別院照蓮寺は、永正元年(1504)あるいは天正16年(1588)、
国主金森永近の要請によって高山に寺域を移したという。
荘川桜は、照蓮寺境内にあった。
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岩瀬橋
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荘川町黒谷
仏山浄念寺ー伝蓮如上人お手植えの銀杏
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荘川町六厩
明光山了宗寺
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岡田家とイチイ。
1247年頃、嘉念坊が当地に来られた証しとして植えられたと伝承。
1050メートルの高所に生育するイチイ。
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小鳥川
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淸見町上小
名正山弘誓寺。
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上小鳥、門端縄文住居址。
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小鳥峠。1000メートル。
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小鳥峠を下って…。乗鞍
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淸見町牧ヶ洞
栗原山了徳寺。