白鷹山長楽寺(真言宗・能登町)

今日は今年になって初めての八組坊守会。
会所は能登町宇出津(うしつ)因念寺さん。


18年前の3月11日の早朝、七尾の病院で父に付き添っていた母から
父の容体が急変したとの電話が入り、
七尾へ向かった。
雪道が凍っていて、鵜飼を過ぎてからの長い坂道を車があがれず、
海岸回りで
宇出津を通って、いったのだ。

周囲には言っていなかったが、
お医者さんから、父の入院が長引きそうだとの説明を受け、
3月1日には、県教委に退職願いを出し、
受理されていた。
思わぬ形で
4年間通った宇出津高校への道を通ることになった。
おそらく様々な感慨が
去来していたに違いない。
病院に着いた時、
父はすでに息を引き取っていた。


今朝、粉雪が舞った。
そして、宇出津での坊守会。


18年は長く、
登れなかった道は
追い越し車線もついた、広く緩やかな道になっており、
海岸道にもバイパスが通っている。


多分一番元気だった頃に通った
宇出津高校は、
その後、水産高校と統合して能登北辰高校と名を変え
近々、さらに統合され能登高校になるのだという。


次々と想い出が蘇ってくる淡雪に誘われ、
宇出津高校跡地を訪ねた。
汽車で通っていた頃の通勤道である、
因念寺さん近くも歩いて見た。


その頃、
このお寺は道路際から、やや奥の広い地に移転している。
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昭和53年4月刊の『能都町史』(当時は能都町、現在は内浦町、柳田村と合併して能登町)第三巻・歴史編に、
「境内に光明真言碑一基、
高野山から伝わった大日如来陽刻板碑、
天文五年銘のある五輪小塔がある。」と書いた
「光明真言碑」にあたるのがこの碑なのだろうが、
蓮華座に乗る弥陀三尊種子のようにも見える。
二㍍余の堂々たる板碑である。
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建物には、本堂・庫裏・山門・地蔵堂を記したが
仁王には全く触れていない。
昭和52年に移転したあと
ー聞けばすぐ分かることだがー整備されたようだ。
「能都町の寺院資料」(PDF)