ビューサンセットー夕陽の丘ー

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広岡から。山の麓が門前の街並み。


18日
学生時代の後輩で、節談説教研究会幹事の羽塚氏から話があり、
研究なさっている方をご案内した。
目的は節談説教の広陵兼純師。
その前に、能登の風土を説明するのが
私の役目だったのだろう。


この時期は、どのような天候になるか分からない
輪島で会うことになったのだが、寒波に覆われていて、
輪島市三井では前日マイナス6度以下を記録したとの情報。
新しい車は1500cc、雪道に対してどうなのかをつかんでいない。
それに
これは完全に不注意なのだが、カッターの先を折り間違え
人差し指の爪と肉との間をキューンと切ってしまった。


天候と肉体は「わろし」、
羽塚夫妻と調査に出向いてこられる研究者さんに会う気持ちの方は「よし」で、
輪島へ向かった。


広岡集落は写真にあるように山の上
途中カンカンの道があり、馬力不足なのか操作不慣れなのか、
車は滑り出してあがれなくなってしまった。
名古屋から来た後続の羽塚車も動けず、
私の判断では、あと2時間もすれば、少し陽が当たり氷が溶け出し動けるかな…だったのだが、
そうもしておれない。
四駆の車は横を通り抜けて上がっていく。


近くの家からスコップを借り、ガンガン路面を出してバック
そのお家の庭に車を止めさせてもらい
歩いて満覚寺さんへ向かった。
そこへ兼純師から、
「なにしとるー?」と電話。


着いてまもなく、お昼になり
兼純師夫妻共々6人で
ビューサンセットへ食事に出かける。


研究者さんは伊東乾とおっしゃり、
「アンジャリー」という本に、
「笑う親鸞 序」を書いておられる。
お会いする前に、どういう方なのか知っておかなくてはと
少し調べさせていただいたのだが
「笑う親鸞」では、作曲家・指揮者


集英社から第4回開高健ノンフィクション賞受賞『さよならサイレント・ネイビー』
朝日新書に『日本にノーベル賞が来る理由』f:id:umiyamabusi:20090219112108j:image
『反骨のコツ』
『バカと東大は使いよう』
などの著書があり…となると
そうありそうな名でもないけど、
何人も「伊東乾」という人がいるのかな…
ぐらいの認識のまま、お会いしたのだった。


どれもこれも、すぐれた仕事である。


かつてビューサンセットで行われた
年度末の坊守研修会兼食事会の折、
ビューサンセットにかこつけて「夕陽の丘」を知っている方?
と尋ねたことがあった。
坊守さんのほとんどが知らないとおっしゃる。
それで、「夕陽の丘」「夜霧のエアーターミナル」寒い朝」をテープに落とし,
次の坊守会で流した。
作曲・指揮者…節談…
伊東氏に語る話題として、これは面白いのではないか
しかも出来すぎた話になるが、この日返そうと車に積んであるCD、
裕次郎「ベストヒット12~北の旅人~」には
「夕陽の丘」が入っているのだ。


もてなしのこころを籠めて


ビューサンセットが夕陽の丘だというので、坊守会で…
裕次郎浅丘ルリ子のデュエット曲は、
修学旅行に直結する淡い青春の歌だったのに、
今借りてきた夕陽の丘は、
中年の裕次郎八代亜紀のデュエット…、
いやあ…
と言ってみたものの、
羽塚夫妻も「夕陽の丘」を知らないという…
まして、44才の伊東先生には、チンプンカンプンだったろう…


家へ帰って、改めて節談に関心をお持ちの作曲家・指揮者歴を見た。
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プロフィール(『さよなら、サイレント・ネイビーー地下鉄に乗った同級生』)


裕次郎浅丘ルリ子から
ポピュラー、ちょっとクラシックまでの私の理解範囲を遙かに越え、
こちらがチンプンカンプン…
とんでもない方に、
とんでもない駄話もてなしをしてしまった。