一度(ひとたび)のご縁ー朝枝善照、出雲路暢良師ー

朝枝善照師

広陵顕恵(97)氏のお通夜お葬儀が3日・4日に営まれた。
今をときめく節談説教の大家、広陵兼純師のお父上である。
通夜から門前広岡満覚寺さんへお参りに伺った。


葬儀の日、親戚控え室に
節談説教の会です、とお二人の方がお見えになり
御香儀をお出しになった。
龍谷大学…浅井成海という名が聞こえた。
聞いたか、見たことのある名だ。
声をかける機会があり、
浅井さんですか?
と聞いた。
その方は、浅井は来られませんので、代理で来ました、とおっしゃる。


この方が浅井氏ではないとしたら、
浅井…
龍谷大学
ちょっと違うような気もするが…
ある記憶が蘇ってきた。


それは、龍谷大学のキャンパス内、会議室
『講座蓮如』(全六巻・平凡社刊)の執筆者打ち合わせ会議
千葉乗隆、金龍静…、その時の基調講演は大隅和雄先生だったか、網野善彦先生だったか…の場。
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(『講座蓮如 第二巻』青木馨、平松令三、小山正文、岡村喜史、片岡了、大喜直彦、赤井達郎、沙加戸弘、村上學、北西弘、西山郷史)

その会議の時、
私の横に座っておられ、
しばし語り合った方が浅…?さんだった。
静かで落ち着いた、穏やかな方だった。
確か山陰の方のお寺の方で…


代理とおっしゃる直林不退さん(節談説教研究会副会長)に、
そのことを尋ねてみた。
浅井さんは、山陰ではなくて、滋賀の方だとおっしゃる。


「じゃあ違いますね。
私がお会いしたのは島根か鳥取のお方でした。」
「朝枝先生じゃないですか。」
「そうだ、朝枝とおっしゃった。朝枝善照先生…。」
「朝枝先生をご存じでしたか…、
私の恩師で、一昨年の1月、62才でお亡くなりになりました。」


エ………ッ!!!。


朝枝氏先生は、節談ではなく、妙好人研究の方だった。
また山頭火における真宗世界の境地を味わっておられ、
自坊の庭に、山頭火の「こころ落ち着けば水の音」の句碑を建てておいでるという。
そして、こよなく「濁れる水の流れつつ澄む」
を評価されていたという。


近々5巻の選集が編まれるという。

出雲路暢良師

選集が出たので購入しませんか、との案内が届いた。
哲学までは手を広げられない、という思いと、
親鸞聖人がキーになっている方の選集だから、買うべきではないか…
との間で揺れたのだが、
出雲路先生とは、どこかの温泉で
一緒にお風呂に入った記憶がある。


多分お会いしたのは
その時ぐらいのものなのだろうが
そこまで近い距離でのお付き合いのあった方だから、
買っておこうと
しばらく前に注文した。
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(『出雲路暢良選集1 自己を明らかにする』)



ところで、お会いするきっかけになったのは、
「北陸宗教文化研究会」以外には考えられない。


出雲路師は金沢大学の教授だし、
参加した頃のこの会の事務局は同大学文学部比較文化学研究室となっている。

1990年3月に出た『北陸宗教文化2号』に「蓮如伝承の思想」を書いた。
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この研究誌には
滋野井括(なんとお読みするのだろう)氏が「李生民訪綽の一考察」、
金森西叡氏「原坦山における東と西の批判」が執筆しておいでる。

畠山正信師

その会誌を開いてみると、
7月1日にKKR加賀を会場に第5回研究発表会が行われ、執筆者3人以外に
畠山正信「柳宗悦の淨土教理解」、
宮下孝晴「山王礼拝図における象徴性と図像学的伝統」の両氏が
発表しておいでる。
その後懇親会があり、4人の発表者を含む14名で懇親会を行っているが、
私は懇親会には参加していない。


1989年、出雲路先生も62才で還帰なさった。


この会では、大谷で知り合った夷藤保氏が、活躍しておいでた記憶はあるのだが、畠山氏の名に出会うとは思わなかった。


畠山、西山、宮下、金森、滋野井先生の順で発表しているので、
ひょっとしたら椅子を並べていたのかも知れない。


私は、この発表会の2年後に教員を辞め、
住職になり、1993年に教区会議員になった、
その頃、
畠山氏は能登教区で若手のホープとして活躍しており、
畠山氏と最初に出会ったのは
能登教務所だとばかり思っていたのである。


柳宗悦の淨土教理解」にも興味がひかれるし、
彼のほうは、
KKR加賀出会っていたことを覚えているのだろうか…



多分1度だけのご縁だった
お2人を思い出しながら、
資料を開いていったら、
別の出会いも蘇ってきた。


会える時には、
会っておきたいものだ。