作られる用語、史跡ー里の秋ー

9月14日(日)
穴水町宇留地で坊守会。
「里の秋」だなぁーと思うにつけ、
最近よく見かける「里山・里海」という用語に、若干こだわっている。
嶽・山・野・里(町)・磯あるいは渚、山里という、
しっかりした概念があるのに、
里山・里海ってなんだろう?


あとでも触れることになるだろうが、
11日に観光ボランティアガイド「きらり珠洲」を解散した
(正確に書くと、事務局を除く会員は、「珠洲を知る会(仮称)」に移り、
新たな事務所をしばらく私のところに置くことになった。だから「解散」ではないのだが…、気分は解散)。


私たちは、「能登はやさしや…」なら
最初に載る文献は何で、
その後どのように用いられてきたのか、
大田道兼は最初「人のやさしさ…」を言っていたのに、
いつからか自然のやさしさに変えたが、その理由は?
などを検証し、
今たどり着ける最も正確な、紹介を心掛けてきた。


珠洲」「須須」についても、
烽火のススだと説明されがちだったのを、
珠洲散策のーと』で、可能な限りの事例をあげ、
須須は鈴であることを知っていただくようにつとめた。


そういう立場・姿勢からは、
誰のものでもないはずの砂浜に、
いつの間にか「縁結びビーチ」などと名前がつけられていたり、
磯、渚が里海になっていたりすると…
「敬して遠ざけ」るしかない。




「静かなしずかな里の秋…」は
山里か里だし、
海は、今の季節だったら
「今はもう、誰もいない海…」だったり、
「遠い渚」(二人で砂に書いた愛の言葉…遠い遠い渚に流そう)
なのだ。


激しかったり、優しかったり、
語りかけたり、
それぞれにそれぞれの海がある。



里海、里山?と、
ガイド解散へ行かざるを得なかった、
ズレの数々を頭の中で整理していると、
昨日の新聞に、某ガイド団体の長が
江戸時代の縁起に親鸞聖人が出ているので、
親鸞聖人は某所にきていった…と語っているのが
大きく取り上げられていた。


縁起をお持ちの住職さんは、ずいぶんお困りになったろう。



江戸期の縁起が理由になるのなら、
たとえば、聖徳太子は、加賀・能登
数10回もきておられることになる。



ガイドは、
長年積み重ねられてきた文化・伝承・文化財をしっかり捉え、
研さん・勉強し続けなければならない。



観光の目玉捜しの目で地域を見ると、
このような話が作られていく。


「里海」も、縁結びも、昨日の記事も、
それぞれが
地域の活性を思い、
熱心に取り組んでおられるところに生まれている。
その恩恵をいただいているもの(私)は、
お礼の言葉を言わさせていただいても
グチってはならないのだろうが…