北陸三県民俗学会に向けて

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この会のために、あえのこと資料、田の神資料、屋敷神(この辺りでは「地神」なので、タイトルは切り替える)の資料を相当集め、レジメをギリギリ間に合わせた。
10pB4・4枚とA4写真2枚。
キーワードは「稲荷」
どうして、福井まで出かけて私が発表するのかは、さておき
大森さんが基調発表をなさるし、
稲荷信仰の基本ぐらいは知っていないとまずいだろうし、と
以前いただいた膨大なボリュームの本を、パラパラめくってみた。
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能楽・「仕舞い」もなさるし、色んな分野で一流だ。この栞もその一つ)
650頁の大著。「日本宗教民俗学叢書」の第1冊目である。
15ページにわたって書かれている後書きを読んでいると、
研究を続けていく御苦労、
本論・副論文の他、註釈集4冊、資料・音頭集4冊、写真集16冊、録音テープ32巻を提出した修論
その分量が多いため、製本途中にドリルの針が折れたエピソードや、
知り合いがあちこちで登場するため、
劇画を見るように、興奮しながら読み進めた。


当時、助手だった佐々木孝正さんが、大森さんというすごいのがいる、
と腕組みしながら遠くを見るような目でおしゃったわけが、
今になって、理解できた。
読み進めていくと、終わりの方に「日本宗教民俗学研究会」結成の経過概略が記されている。
そこに、知り合いだけでなく、私の名が出てきた。
京都市アバンティホテル(というところ)で、研究会発足次第(案)の検討会が開かれ、そこに加わっていたというのだ。
会議に参加していたという10名の名が記されているが、会議も、そこにおいでたという4人の方は
今、名と顔が一致しない。
ところが、
あの写真はなんの写真だろうと思っていた集合写真が、この文で何の写真なのか分かった。
なんで、こんな場に
足広げて写っているのだろう…と思っていた写真である。
(明らかに、記憶が失われている時期がある)


そうだったのか!
それが、次の写真。
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大森さんの文からすると、平成元年12月16日の写真。


そして、確かに宗教民俗研究会の中心メンバーが真ん中に座っておいでだ。
写真では知っている方(名が分かる方ー近くから・敬称略ー豊島修・日野西真定・鈴木昭英・中沢成晃・故田中義廣・中川義晶?木村至宏?・大森恵子・名畑崇・根井浄・岩田博・木場明志・山田知子・本林靖久)が13名。
12名は分からない。
(31日、大森さんにあったら聞こう…1日記載時の結果、写真を忘れていった)


当時の手帳を見ると、その日は1C、3Eの授業を終えて京都へと書いてある。
私の場合、名は分からなくても、
能登半島の先端からはるばると…の形容がつくので、
能登の人で、記憶に残るかも知れない。
はるばる来たぜ「能登の人」…
学問から、演歌になってきた。


以下、レジメ5枚目の元と6枚目。
5枚目は、この風景写真を覗き、写真を並び替え、解説をつけた形ー6枚目のようなーで提供した。
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6枚目
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「あえのことの基礎資料」