お盆・旧知(飯田高校第34回卒業生同窓会)との再会

14日の午前中、大降りだった。
足袋はずぶ濡れ、白衣の裾絞り状態。
16日も降った。

15日は降らなかったが、例年の通り、朝5時前からお墓務め。
一旦、その時間に起きると、その後も同時間に目が覚める。
今朝は、それに寒さが加わって3時過ぎに目が覚めた。
寒いので、そのまま朝を迎えた。


15日にはタイトルの同窓会が行われた。
その前に、33回生の数名がお墓参りついでにちょいと顔を出していった。
彼らは16日に同窓会をやるのだという。
34回生は昭和57年3月の卒業生。
45歳記念だとか…。
次の案内文をいただいていた。
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私が35歳の時の生徒で
今の彼らの年齢45歳にはすでに教職を辞していた。
生活環境の変化と25年以上の年月は、
教員であったこと自体が、遠い過去の想い出になっている。
それに、お盆のさなか…
翌日の16日も朝が早い。
体力的に無理なのかなァと思いつつその日を迎えたのだが
19時過ぎなら加われるかも知れないと伝えていた19時近く
体力には余力があった。
17時過ぎに、B組担任だった藤垣先生が寄っていく。
D組佐藤先生、A組杉盛先生も参加なさるという。もうお一方のE組担任だった大谷内先生は今まで何度も参加なさっていたのだそうだが、今回はご高齢でもあり(?)参加なされないとのこと。
藤垣・佐藤両先生は金沢方面からの参加である。
宴が始まって2時間は経過しているが…
すぐ近くにいる担任が全く顔を出さないのもC組の生徒は寂しかろう…の思いもあって、
会場に行く。
たけなわだった。
70余名参加しているそうで、クラスごとにテーブルが設けられ、参加出来ずにコメントを寄せた卒業生の文が、綺麗に書き直され、それもクラスごとに張り出されている。
もちろん、旧姓・現在の姓を記した名札は用意されており、幹事たちの気配りが行き届いていた。
2時間も経っているのに、食べ物が全く減っていない。
それだけ話しに夢中だったことが窺えた。
しかも、幹事たちの世話に、感謝しながら話しを進めている。
この年頃って、こんなにもはつらつしているのか、と感嘆した。
一時期、仕事に追われ、疲れているのかなぁと思っていた人もすっきりしていた。


下のホールでの二次会にも混じったが、同窓会は生徒同士が旧交を暖める場だ。

ちょいと居すぎたかな…と思いつつ
盛りのいのちの躍動に出会えたことを感謝しつつ、そっと場を退いた。


今、あの頃を少しずつ思い出している。
3年まで持ち上がったのは、宇出津で1度、飯田で1度の2回きり。
35歳じゃ早すぎるが、結果的に
最後の3年担任だったことになる。
その年は、野球部の部長をしていた。
郷土史同好会もやっていた。
それに組合の県委員という相当面倒な役もあたっていた。
新聞文化欄、加能民俗研究、都市と民俗研究などに書き、
さらに『能都町史』の調査・執筆さなかで、野球のノックを終えてから能都町に調査に行っていた。
弁当を2食分作ってもらい、昼食は学校、
夕食は調査地近くの主に海の見える野外で取り、その後、お寺の調査に入った。
箸を持っていくのを忘れ、木の枝を折って箸代わりにしたこともあった。


3年の担任していた時、滅茶苦茶忙しい年だったことがあったなぁ…と時折おもいだしていた、その年回りの生徒たちとの再会だったのか…。
ということは、
担任としては……?




16日は、東京で教員をしているテニス部の卒業生が、
夫婦で訪ねていった。