肉食妻帯と承元の法難

祠堂経が終わり、お客さんのお説教を味わい返す間もなく、
次の段取りに入っている。


真宗関係の講義の予習がさしせまっている。
今日は8組坊守会。
明日は推進員養成講座第3回
23日、穴水・鵜川組坊守
27日、推進員協議会。
今日、坊守会の復習をしながら
明日の準備をしている中で、次々に疑問が湧いてきた。


在家仏教を表す時、「肉食妻帯」の語を用いることが多い。
特に「食」については
「御光のもと、我今幸いに清き食を受く いただきます。」
最近知った永六輔氏の「(あなたのいのちを わたしのいのちにさせて)いただきます。」
といった、感謝、いのちの尊厳に敬意を表す言葉はあるが、
どうして、それが許されるのかは、根拠を考えてこなかった。


妻帯については語られるものの、精進・無縁(「肉食」)については
「豊かな食生活」に埋没してしまって
あまり論議されてこなかったような気がする。
そのことを問う話が
「口伝抄」の第8(『真宗聖典』p657・東本願寺出版部刊)に載る。
ところが、「口伝鈔」の手頃な解説書が見つからない。
ようやく探し出したのが、『真宗大系』註疏部。
香雲院澄玄師の「口伝鈔丁酉記」。
さーと読んでみたところ、実に興味深い。


そのうち、「歎異抄」の最後に記されている
承元の法難で死罪、流罪になった方々…が気になってきた。


先ず御流罪(敬称略)
法然 土左
親鸞 越後
浄円房 備後
澄西善光房 伯耆
好覚房 伊豆
行空法本房 佐渡
幸西成覚房 遠流
善恵房 遠流

死罪
西意善綽房
性願房
住蓮房
安楽房

計12名おいでになるが、
これらの方々で、伝承を含めて御流罪になった理由を聞いているのは
法然上人、住蓮、安楽だけだ。


聖人さえ、御流罪に遭うほどの高弟だった…とか、将来を恐れられて…とか
曖昧なままの理解しかしていない。


「無実風聞によりて罪科に処せら」れたと聖人がお書きになっている、
それぞれの方々のことを詳しく知りたくなった。


幸い「専修念仏教団の解体と念仏停止」の論が含まれている 
吉田清氏の『源空教団成立史の研究』(名著出版)がある。
それと「日本仏教人名辞典」。


ジックリ読んでから、明日の講義に臨みたいのだが…
寝不足になったらまずい事情がある。


2冊の本を並べるだけにして、
明日以降の楽しみにしておこう。