「紫会」最終講義

紫会最終講義は、今日、輪島市三井(みい)の仏照寺さんでだった。


紫会を構成している3つの組のうち、2つの組の坊守会長さんには、
上越旅行後の16日に、
大きな流れの任期(3年×3つの組)も終わることだし、
新しい体制で動いた方がいいだろうから、
現役員メンバーで動いた3年間の年度末となる、この6月2日の研修を以て
講師を辞める旨を伝えていた。
(おひと方は大きな法要前だったので、お話ししていない。)


2000年3月に、病気で辞退なさった前講師を引き継ぎ、8年と3ヶ月。
その第1回目のメモには、「質問多く、レベル高い。4,5名で見送りに出られる」とある。
送りに出られた方々が、3つの組の正副坊守会長さんだと分かるまでに、しばらく時を要したが、
それぞれの組内寺院が、交互に会所を提供し、
自組の坊守さんは後ろに、他組の方々には前に出て話しを聞いてもらう仕組みなど、
思いやりと助け合いで坊守会を営んでおいでる様子には、
はつらつとした明るさを感じ続けていた。


能登沖地震で、昨年4月の1度だけ開けなかったが、
3回の1泊旅行を含み、年9回。
延べ66回、休みのない講義だった。


かつてなら必ず言ったであろう
「勉強し直して、また会いましょう」
が、いえない年齢を迎えているだけに


そして、こちらの都合のいい日に合わせて
絶えず連絡していただいたことなど、
迷惑のかけっぱなしだっただけに


今日まで出来たことの感謝も含め、
こころの中で
ー頭を下げ、感無量ーといいながら
約2時間、お話しした。


結局、話せなかった内容については、
いつか見ておいて欲しいとの思いも籠め、
作っておいた6枚の資料をお配りした。

仏照寺さん

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仏照寺さんのある地名は、三井(みい)興徳寺で、
興徳寺は仏照寺の前身といわれている。
それを裏付けるように、仏照寺さんには真宗以前(12世紀)の仏像がある。
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参照『能登仏像紀行』(石川県立歴史博物館)より


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仏照寺さん駐車場からの里・田園風景
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講師控え室。
脇息、
花瓶には「山しゃくやく」。

昼食は8番ラーメンで「味噌ラーメン」。
部屋に案内されたとき、
20分前と、大いなるギャップを感じた。
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庭の緑と廊下の色彩との対比が素晴らしい。
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講義室の広間。
着物が飾ってある。

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お菓子の敷き紙の裏には、
すべて
今日の日付の入った「紫会」の印が押されていた。

最終資料

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私にとって、記念すべき紫会最終資料。


研修旅行を区切りとして、
若い人と変わられた方を含めて新しい方々が5人見えており、
「これから宜しくお願いします」、
との挨拶をいただいたのに、
「これから…」は、今日だけだったなァ…
などと
つい先ほどから
8年前までの
来し方を振り返りながら、


通い慣れた山里の道
落日にはまだ間のある海岸線、
町野荘・若山荘の道を帰った。