居多ヶ浜・五智国分寺・山寺薬師・新井別院・小黒女房の里・高田寺院群

居多ヶ浜

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21日午後3時過ぎ、御流罪の地、居多ヶ浜に着く。

五智国分

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聖人がおいでになった「竹之内草庵跡」。
上杉謙信国分寺として再興。

鏡の池

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像を刻むために聖人自ら姿を映したと伝わる「鏡の池」

光源寺さん(さん、以下略)

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本願寺派国府別院

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竹ヶ前(たけがはな)草庵。

寺野(板倉区久々野・くぐの)

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恵信尼公の里の一角、
午後5時20分。

山寺薬師

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山寺薬師への道からのぞむ…。
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山寺薬師参道。209段ある。
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山寺薬師。堂内には釈迦・薬師・弥陀の大きな三尊を安置する。
恵信尼公の子孫三善讃阿が室町期に寄進。
山寺三千坊といわれた地である。
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バス停。

妙高山

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22日。宿舎から妙高をのぞむ。妙高弥勒山の日本名。

新井別院

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新井(あらい)別院。午前7時。

「ゑしんの里記念館」

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恵信尼寿塔。

小黒

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小黒の地(安塚区小黒)。
聖人と恵信尼公の間に生まれた小黒女房ゆかりの地に、名刹が建つ。
小黒女房の地と知って、どうしても訪ねたくて、山越えをした。
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その名刹ー小黒の専慶寺。
県内屈指の大きな本堂は、総ケヤキ造り。
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情緒深い、民家もあった。


ところで、恵信尼公文書などではオグロなのに、地名の振り仮名はコクロになっている。
在所の人に聞くと、本来はヲグロなのだが、若い人たちはコクロというようになってきたとのこと。
地名がコクロじゃ、恵信尼公以来の由緒地がなくなっていくのではないかと若干心配。
もう一点。
昔々、高田のお寺出身の後輩が、もう一回り後輩をさして、彼のお寺は新潟の山奥のすごいお寺だ、と言っていたことがあった。
ここへきて計4ヶ寺建っている一帯を歩きながら、ふとその後輩のことを思い出した。
在所の人に後輩の名を出したら、そうですよ。とのこと。
兄さんの住職さんにも、偶然会えた。感無量。

高田別院 

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写真にはないが山門がすごい。

浄興寺

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常陸国笠間の郡稲田の郷にあった。
元仁元年(1224)年、聖人はそこで「教行信証」を完成。
その時、聖人はその草庵を「歓喜踊躍(かんぎゆやく)山浄土真宗興行寺」と名付けてお喜びになられたという。
それを詰めると「浄興寺」となる。
その後、転々として天正年間に越後に入ったといわれている。
写真の本堂は県内最古の真宗本堂。
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聖人頂骨が収まる本廟。

性宗寺

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「和田御坊」性宗寺。
信性が開いた越前和田御坊本覚寺の分寺。
ここには、大逆事件の弁護士、平出修のお墓がある。

樹徳寺

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樹徳寺。後輩のお寺。外からヨーと言ってきた。
現在彼は九州に住んでいる。

常敬寺

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聖人の孫、唯善が京都で開基と伝える。
通称、赤門さん。