『黒い雨』に登場する門前出身のお医者さん、そして「アマンミヤ(雨宮)」

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この作品は井伏鱒二の名作『黒い雨』の一部。
ここに登場する乗岡医師が、
この前の会所だった寂静寺乗岡家出身のお医者さんなのだ。
この作品を読んだ方が、姓も珍しくどう見ても僧侶名なので、
ひょっとしたら…と問い合わせてくることもあるそうだ。
その話をしばらく前に坊守さんから聞いていたのだが、
この前お邪魔してしばらくしてから
ふーっと思い出し、『黒い雨』をさがした。


『黒い雨』は国語の授業でやったことがある。
全文カタカナ・漢字混じりだったような記憶があるが、
今見た『昭和文学全集』10(小学館)は、そうではなかった。
(4日、金沢の本屋で文庫本をパラパラめくってみた。カタカナが長々と続く文はなかった)。


よいお医者さんだったことが短い文から伝わってくる。

アマンミヤ

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やはりお医者さんだった一族の方のお連れ合いが、「アマンミヤ(雨宮)」という、ゆったりとしたお店を白山麓で営んでおられる、
という話を聞き、二度ほど訪ねもした。
お店には立派な調度品が並んでいた。
その名に惹かれた。
鹿西(ろくせい)に、国指定の雨ノ宮古墳群がある。
このアマンミヤは、故郷・門前にある小さなお宮さんなのだという。
公式の神社名には乗っていない。
その話から調べていって書いたのがこの記事である(『能登国三十三観音のたび』P115)。
諸岡に在った真言・宝泉寺定賢律師が、永光寺瑩山(けいざん)禅師に寺域を譲って「道下(とうげ)」へ出た。
総持寺に伝わる話で、このところは観音の夢告が理由になっている。
だが、どうして譲ったのか、どうして「道下」に出たのか?
その疑問が、雨宮によって、解けてきそうだ。
敢えて、良い水の源・アマンミヤの地を求めた、
あるいは広大な支配圏のうち重要な地を残して譲った、
というのが私なりの結論である。
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数年前の雨宮
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雨宮付近から寂静寺さんのある高根尾付近をのぞむ。
向こうの山脈を、臥龍山ともいう。