仮題:『珠洲散策ノート』、季刊「能登」

今、ある作業をしている。
振り仮名を振り、註をつけ、編集、活字拾い(プリントアウト)、
転載許可をもらい、試し刷り…
小さな冊子を出すためのあらゆる作業を一人でやっている。
マスプリと製本のみ印刷屋さんにやっていただく。

これに近い作業は,『蓮如上人と伝承』(金沢東別院刊)でやったことがあるが
それでもあの時は、金沢教区の若い僧たちがスタッフとして関わってくれたので、
この活字だと読む人はどうだろう…とか相談ができた。
今度は、ともかく一人作業なのだ。


そうしなければならないようにしむけていったのは自分なのだが
さすがに、あちこち電話して、
あなたが作図した画をつかわして欲しい、とやりはじめたら
時間もとれないし
なんで…こんなことをやっているのだろう、と思ってしまう。
かといって、何もしないでいると、せっかく長い年月を掛けて調べてきたものを次世代に伝えなくては
と、あせるのだし
振り子の幅が大きいのには、我ながら閉口する。
淡々とはいかぬまでも、振り子の幅をちいさくできればいいのだが…


まあ、退屈せずに時を過ごさせてもらうのだから、
こんなに恵まれていることはない。
と、思うことにして、
仮題「珠洲散策ノート」と名付けるところまでたどりついた。

題も決まった、さあーやるぞと、今一度ハッパをかけ、
来週中には、印刷屋さんに持ち込む予定。


それで、「若山荘の源を歩く」コーナーの資料に、
「宗末(むねすえ)薬師」に触れなければならない、と思っていた。
昔、「季刊能登」(株式会社金沢広告)で、薬師巡礼を書きだし
途中まで連載したことを思い出した。


季刊紙を捜す。
「季刊能登」では、その前に「能登国三十三観音巡礼札所」を連載させていただいた。
そこで、何度目かの調査をしたことが、
能登国三十三観音のたび』(北國新聞社刊)につながったのだった。

などの想い出をたどりながら、新聞を次々広げてみた。
薬師信仰は
能登の十二薬師」
能登薬師巡礼1」
能登薬師巡礼2ー能登十二薬師ー宗末薬師ー」
能登薬師巡礼3ー能登十二薬師ー高爪薬師ー」
能登薬師巡礼4ー湯の薬師ー」
が出てきた。
ここでやめている。
 続けられなかったのだ。
 でも宗末薬師が見つかったからいいとしよう。


今見ると、この季刊誌の執筆陣は、すでに故人の方もおいでるが、能登から発信なさった、代表的な方々ばかりだ。
写真もいい。
ここでの記事・連載を埋もれたままにしておくのは惜しい。


会社に電話した。
全部取ってあるという。
何かに生かしたいですねーと話し合った。