「蛸島小唄」 27日

蛸島の人から電話をいただいた。
公民館活動などで講師をしたりしている方のようである。
資料館友の会で何度か各地を一緒に巡った方のようでもある。
電話なので、はっきり分からない。


今朝TVで、私が鈴木大拙について語っているのを見た。
とおっしゃる。


今日だったのか。


取材をしたら何日に放映します、
とたいてい連絡があるものだが、
今回は聞きのがした。
「鈴木大拙の珠洲」

 

それにしても、お人形さんのようなアナウンサーさんと
飯田の町を歩きながら説明したのは
どのように写っていたのだろうか
飯田は放映されずに、
蛸島の語りだけが流れたのだろうか…


この時期、すぐ「お人形さん」が浮かぶのは


「僕は七つで、その子は五つ」(橋幸夫
「雪靴はいたお人形さんみたいだった?」(吉永小百合
「二年たったらおない年」(橋幸夫
「そしたらいいな…って、いったのね」(吉永小百合
橋幸夫吉永小百合「若い歌声」)
の間奏中の台詞がこびりついているせいだ。


どんな風に写っていました?
と聞くわけにもいかない。


普段会ってない方から
わざわざ、電話がかかってくるのだから、


私は~のように聞いていますが…
とか、
上野家にいたんではないですか…?
とか
文献があったら…教えて欲しい
とか
いつものように自分の世界で、
若干身構えながら相手の質問そして答えをパッパと巡らしていると、


思いがけないことをおっしゃった。


蛸島小唄」というのがあり、
公民館で指導もしている。
この唄を作ったのが有名な二人の先生だと、富山の方が言っていた。
今朝の番組で話していた二人がそうではないか


と、こういう質問だった。
富山の人には思い当たることがある。


家を売り、学校をやめざるを得なかったころの貞太郎(大拙)に
小唄を作っているほどの余裕があったと思えないし、
わずか数ヶ月で蛸島を詠い込むほどの知識を吸収することは無理だろうし、
その後の大拙が、唄で知られるようになったこともなさそうだ。


関係ないと思います。
というのが私の返答。


蛸島小唄」
どんな詩なのだろう。


そして、今日。
ぶらりと寄ったといっていた人が、


偶然TVで見た、
飯田の町で話していた。
蛸島は?
蛸島かな…、そこでも話していた。
途中から見たのだけれども、結構長く出ていた…


その時間帯は、
「お朝事」前の新聞、
掃除、
お内仏さまの「お朝事」
なので、

よっぽどのことがないと誰もTVを見ない。



日常に、非日常めいたものがかすめていった。


【→2月3日追加。
今日、2月3日丁寧なお礼状、品物とともにDVDが届いた。
あわててダビングしなくても、映像を送ってくださるのだった。
何度も大百科に出ています、
とディレクターさんにいっているのだから
当然、事後処理も知っているはずだ、と思うのが普通だ。
それなのに
映像を見ることが出来なかった
と大騒ぎして、ブログにまで書いてしまう。
申し訳ない。

明日ありと思う心の徒桜…
今日とも知れず明日とも知れず…
世界に生きているもののあせりなのかも知れない…。

あらためてビデオを見たら
丸いボールに目と鼻がついている自分の顔があった
そして
アナウンサーさん。
ちっちゃくない、
むしろ背が高い。
どうもお人形さんイメージが、
先行してしまったようだ】