霜柱氷の梁に…火伏せの秘歌


去年発行されたある報告書を見ていたら、次の写真に出会った。
能登の資料でもあるので、考えてみたい。
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解題・解説は次のようになっている。
解題「書跡では……覚円が「霜はしら 水の波まに/雪のけてさすすみまても/水無木かな」と詠んだ覚円書が注目される。」
解説「覚円の和歌である。「霜はしら…水無木かな」「霜はしら」、「僧都沙門覚円書」とある。」とある。


覚円という僧が詠み、すなわち覚円が作歌し、書も書いたとの判断だが、
これは違う。
祭文などにも用いられている「火伏せの秘歌」である。
 

和歌の上部に「弘法大師 鎮火祈/詠」と書いてある。
弘法大師が鎮火を祈って作ったといわれているーすなわち火伏せの秘歌ーといわれている歌なのだ。
どうして最もポイントになる部分が解説から抜け落ちたのか不思議だが、
覚円の和歌だと思い込んでしまったのだろう…。


伝弘法作となれば各地に伝わっていることになる。
それを知れば、この歌の読みも違ってくる。
「水の波まに雪のけて」ではなく「氷のはり(梁)に雪のけた(桁)」。
「水無木」も「水垂木」である。


この歌については昭和53年(1978)に刊行された『珠洲市史』第2巻に
宝立(ほうりゅう)町酒屋家の伝承として書いた。
それから30年。
その間に中島町笠師菅忍比咩神社棟札にもこの歌が記されていることを知り、
『歴史の道調査報告書 能登街道Ⅱ』(平成9年、石川県教育委員会刊)
「第六節能登の伝承歌」にも書いた。

珠洲市史』第2巻

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『歴史の道調査報告書能登街道Ⅱ』

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参考『加持祈祷祕密大全』(昭和43年大文館書店刊) 

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私が書いてから30年経った広がり(むしろ忘れらさられる?)も、
この県内の執筆者に間違いなく届いたはずの菅忍比咩神社棟札の原稿も
生きていない。


数少ない研究者が忙しすぎるのだろうし、
能登に一つの県立博物館もないため、問いかけ合う場もない、
ということなのだろう。
 

なお、この歌については花部秀雄著『呪歌と説話』(平成10年三弥井書店刊)に詳しい。


珠洲市法住寺でこの秘歌を刷ったものを配っていた時期があったらしく
宝立町で実物を見た。
写真に撮ってあるので、そのうち出てきたら紹介したい。



【6日追記】
結局写真は見つからず、歌をお持ちの家に行って調べてきた。
近世の紀行文に書かれている内容からは法住寺が関わっていた事に間違いないはずなのだが、
尋ねた家の詠歌の出所は思わぬところだった。
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いわゆる旧郡内にいたハッケミが、家を建て替えたときに配布した印刷物だという。
歌の広がりという点では面白いが予想外。


ただ火伏せの御詠歌は下二句に二つの系統が有り、
祭文や山伏神楽などに採られているのは「(雨の垂木に)露のふき草」であるのに、
能登の資料は、今のところすべてが「…までも水垂木かな」系である。

参照→文献資料