能登町宇加塚近辺 25日(木)

当該地区で活躍しておられる高田学芸員との調査行。
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『能都町史』を開いてみると、寺院誌調査を行ったのは昭和56年頃だ。
26年経っている。
この巡礼記念碑には見覚えがあった。
帰って町史の「歴史考古資料編」を見ると、
上日寺・霊山寺・崎山墓地の計15巡礼供養塔は載っているが、
この大乗寺関係は洩れている。
資料編に載るのは宝暦7年(1757)から明治大正6年にかけての塔で、
最も大きいのは文化8年(1811)に建てられた塔高85センチ、幅30.5センチのものである。
しかもこれらは西國順礼供養塔なのだが、この大乗寺塔は天明4年(1784)建立で、
2番目の古さになるだけでなく塔高180センチ、幅34センチとずば抜けて大きい。
しかも一面ごとに西國・四国・当国順礼と記されており、
三箇所順礼供養塔では古さ・大きさともに出色のものだろう。
さいわい「個別寺院誌」ではその時に読み取った内容を記してあるが、大きさまでは書かなかった。
能登における順礼供養塔の編年整理が必要だろう。

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円光を一度塗り潰し、新たに尊像を描いたという。
確かに円光のあとらしき箇所が見て取れ、像の御長けも短い気がする。
専門家に知ってもらいたい尊像。