塩の道ー珠洲市

8日も前の事だが、きらりメンバーで外浦を歩いた。
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真浦集落より逢坂トンネル付近を望む。
逢坂には新旧3つのトンネルがある。
山道のトンネル( 聞き取り。確かめていない )から平地の道なりのトンネル、
そして広い道に移行するにつれて出来たトンネル。
それらが一望できる場所は珍しい。
「昭和30年に現隧道より70メートルツバ崎寄りの旧隧道が完成するまでは峠道をたどった。
峠へは井上商店横を右に折れてすぐ左折し、
若子祭り( 珠洲市無形民俗文化財 )を伝える真浦白山神社の東下を通って
神社後方の道にで、さらに140メートル西の地点から峠越えをした。
この1キロメートルほどの峠道は
近世の紀行文には必ず難所と記され、
いつからか逢坂と表記するようになったが、
元もと這ってしか進めないところから這坂の字が当てられていた。
紀行文には朴坂・宝坂とも記されている。」
(「能登街道2」)。

この報告書を書くため
平成7年頃旧道を歩いた。
その時地区の人から峠道にも崩れているがトンネルがあると聞いたのだ。
写真、中ほどの場所だ。

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真浦の奥に不思議な景観があった。
比較する物がないので大きさはわかりにくいが、
大きな岩場が続いている。

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六尺幅の塩の道は、ところどころで草茫々、
蔓が伸び放題になっている。
この付近一帯に詳しい元市会議員の横道さん、
『馬緤の里』・砂取り節の碑文や巨魚碑の文字をお書きになった広岡さんが
果敢にこの道を歩かれた。

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先ほどの道が町へと続く。
旧道からは塩田ごとに下に降りていく小道がある。
他では見る事の出来ない揚浜塩田最盛期時代を伝える、
貴重な道だ。
揚浜塩田について。基本文献
重要無形民俗文化財に答申
国指定