井波別院瑞泉寺太子伝絵

22日門前から富来ー子浦ー所司原ー岩瀬の三叉路で判断に迷ったが
ともかく奥の方へ向かう。
山道が続きー赤毛ー五十辺へ出た。
こんな処に出てくるのなら友のところに寄ろうかと思ったものの
日暮れまでに宿に入らないとまずい。
車を走らせる。


宿泊所は南砺市福野町寺家新屋敷というところ。
福野駅にたどり着きそこで地図を広げて宿舎を確認。
このあたりだと思うところに大きなスーパーがある。
ホテルは?と聞くとスーパーと同じ敷地にあった。


翌朝8時過ぎに井波へ向かう。
最初の予定ではお説教の今泉温資師、
蓮如絵伝絵解きの馬川透流師と
二人も知り合いが語られる城端で過ごし、
あとから井波に行こうと考えていたのだ。


ところが、泊まってみて分かったのだが
福野というところは井波の方に近く、
まず井波に向かった。


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瑞泉寺右となりの路地にある不動明王石像。
大きなもの。
城郭寺院付近の雰囲気を味わうためお寺の回りを歩いた。
お寺後背地には藤橋八幡宮があり、
井波城址( 旧瑞泉寺跡地 )本丸跡の広大な地に井波八幡宮があった。
社務所の名を見ると「綿貫」とある。

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瑞泉寺背後地の池のあたりから。
明治18年に再建された大伽藍。
間口25間、奥行き23.5間。

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臼浪水。井波八幡横。
瑞泉寺名の由来、
草創:1390年と関わる瑞泉を湧出した井があった。

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絵伝絵解き。
園児も座を占めた。
こういう雰囲気に出会えるだけでもう井波の子は幸せだ。
この日9時半からは11場面目、太子3歳桃花より青松を賞すの段。
お話しは竹部師若院とのこと。
29日まで62場面が解かれる。 

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太子絵伝期間中、
山門へあがることが出来る。
楼上の釈迦三尊像の脇士が弥勒菩薩・阿難尊者。
こういう組み合わせは珍しいのでは?。
写真は山門楼上から見る瑞泉寺


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門前には井波彫刻が並ぶ。
太子に対する敬慕の念を共有できるとともに
旅の情緒も味わえる。
これは2歳南無太子像。

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芭蕉3塚の一つ
翁塚と黒髪庵。
翁塚は元禄13年(1700)瑞泉寺11代浪化上人が設けたもので
日本最古の翁塚だという。

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明治12年8月1日大火の折、
前川三四郎が彫った山門唐狭間の「波に龍」の龍が
井戸の水を吸い上げ消化に尽力したとの伝説がある。
焼けずにすんだ山門右手に、
その時の井戸および尾を巻き付けて水を吐いたという
「昇龍の松」がある。