梅ぼりをしながら推進員養成講座、推進員協議会を考える。

脈絡のないタイトルではある。

推進員勉強会を通して生じてくる問題点、自分への問い、「信」についてなどを、
梅ぼり(梅の実を枝から採ることを、私たちのところではこういう。何でも、元の形ではなくすることを、「ぼる」という)などをしながら、考えつづけている。

24日(日)推進員養成講座第1回。
27日(水)2006年度推進員協議会第6回。
30日(土)養成講座第2回。

その合間に、震災3月目の25日があり、その日、その時歴史は動いたの再放送。
7月の上人の御命日を意図しての放映とは思わなかったが、もう一度和田勝さんのお説教をTV画面で見ようと思い見た。
27日には、教区会員時代お世話になった当時の11組組長・隆さんが、御門徒向けに本を作るその見本が出来たので見てもらえんか…とお越しになった。飯田ははじめてだという。

みな、頑張っている。

和田さん、隆さん…あの頃は門徒戸数調査を軸に本当によく勉強した。


その流れのなかで、お一人はTV画面で眺められたし(1日にもお寄りした)、
お一人はわざわざ訪ねてこられた。


仲間と言ってしまえば仲間でないものが出来るから仲間とは呼ばないものの、
ゆるやかでしっかっとしたつながり=御同朋。


そして、推進員。


養成講座では「同朋手帳」が用意されるのだから同朋から始めることにした。
1回目は40人ちょっととスタッフ10人ぐらいが集まって勉強会がもたれた。

「同朋」は聖人が用いられた言葉であると、その原点をプリントしたのだけれど、まぁ…難しいだろうな。


古典をおしえていたから、私自身はあまり抵抗がないが、

もとあしかりしわがこころをもおもいかえして、ともの同朋(とも同朋)にもねんごろの(に)こころのおわしましあわばこそ、世をいとうしるしにてもそうらわめとこそ、おぼえそうらえ。

といった古文が、突然飛び込んでくるとパニックになるかも知れない。

「もとあしかりし」だけでも、相当の説明がいる。マイナス概念には「わろし」と「あし」があって…「あし」はすごく悪いなどとやっていたらキリがない。


けれども原点に帰って味わわないと、私自身も都合のいいところだけを取り上げての「意巧に聞く」おそれが生ずる。

というジレンマ。


もう一つ。
10組では、2005年10月17日に24名の推進員が生まれている。
それからわずか1年半で新たな養成講座が始まった。
今回の参加者のなかには数名前回の参加者が混じっておられる。ご夫婦での参加も見られる。
今回も参加された方は、OB用の協議会があることを知っておられないのだ。


前回の推進員会は本山教導の安宅山さんが1年なさり、その後を私が引き継いだ。
協議会は同じく教導だった濤さんが講師で、それも私が引き継いだ。


両方に関わるという偶然があって、今はじめて、両者がバラバラに動いていることに気づいたのだ。


確かに蓮如上人500回忌の時は研修も受け、各地で語りはしたが、


教導でも補導でもない私が、養成講座をお引き受けしてよかったのだろうか…
という疑問も湧いてきた。


1回目と2回目の一週間の間に、木の枝をはらったり、梅をぼったりしながら、これらのことを考え続けた。


珠洲には、真宗以外にも天台、真言、浄土、日蓮、曹洞、臨済寺院がありそれぞれの僧がおいでる。
門徒さんからは一緒に見えているようだし、むしろ寺格などを楯に自力各宗以上に御同朋とかけ離れた様相を見せようとなさる人もいるから、
「仏教各宗」と真宗の違いから語りはじめなければならないのでは…と思い至った。


むろん真宗は仏教である。
三帰依文」をキーにし、『正信偈』では仏教のどの部分に強く焦点を当てているかが分かれば、自力・他力それぞれの相が見えてくるに違いない。
真宗大谷派勤行宗(赤本)」と「三帰依文」の語とが、どこでどう重なり合うかを資料にして2回目を行った。


座談会には住職スタッフが混じり、あらためて教える人・習う人の関係が立ち現れ、
「四海皆兄弟…」、朋に学ぶ…は、言葉だけになっていく。


この講座は、お寺本堂(道場)の階段数段を、ヤァーとあがっておいでになる方々を生む…
につきるのかな…。


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打ち合わせの時、思いを書いてみた。
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第1回目部分
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第2回目部分ーゴシックが『赤本』に出てくる語(主として58pまで)。数字は赤本のページ。