鵜浦法広寺前住職、お通夜

七尾市鵜浦町亀淵山法広寺前住職亀淵了映師が還帰され、お通夜が営まれた31日にお参りした。

平成3年に先に還った父と大谷大の国史で同級生だったと聞いている。
七尾に生まれ育った父は、七尾中から大谷大に進み、養子となって西勝寺に入ったのだが、大学まで旧姓・松谷で通していたようだ。

だから私が江曽・松谷外卿の子だということを七尾の知り合いの方もそれほど知っておられない。
私自身もこのように書き出すと、そうだった…父は七尾だった、と思う程度なのだ。
 
 
お通夜には、組内、親戚寺院僧侶26名が矢来の間でお勤め。
相導師は大野木聖徳寺住職隆師。通夜説教は酒井恵照師。
そこで、亀淵さんが大谷大学国史研究室の助手をなさっていたことを知った。
その次の助手が大谷大学長にまでなられた北西弘先生だそうだ。


大きな歴史が流れていることを知り、通夜という場に加えて粛然とした思いにさせられた。

何度も法話(お説教)に来ているので、とおっしゃる藤井恵隆師と、遠い親戚にあたるので…とお参りなさっている輪島市浄明寺崖師の間に座って『正信偈』・三首引きを唱和。
お説教を聞いた。


父が還帰した年、「春勧化(はるがんけ)」にお説教に来ておいでたのが藤井師だった。
あの年、風邪の熱が下がらず、同級生が経営する七尾の病院で検査入院してみようか、と藤井さんの車に乗せていただいて父は病院に向かったのだった。

勧化の満座は2月28日。3月11日に亡くなったのだから、半月も持たなかったのか…。
亀淵さんの所に来ておりながら、頭の片隅では父を想い、また藤井さんにはその後、ほとんどお礼らしい言葉も言っていないのではないか…とも、思っていた。
 

様々なことを考え、思うーお通夜。


遠い親戚でもなく、お説教に来たわけでもなく、それなのにお参りしたいのは、
理由はいらないのだが、強いて付けるとすれば、教区会時代にお世話になったから…ということになるのだろうか…。
                           合掌