西勝寺蓮如忌、「鏡の御寿像」由緒


法宝物の説明。
縁起を読み上げ、絵解きを行った。


先代の時代、昭和49年まで当寺で蓮如忌が行われていた。
事情があって中断し、法宝物もあるのだから行事を再開しなければと思いつつ、各地で行われている蓮如忌の調査に飛び回っていて再会できないでいた。

いよいよ昨年から蓮如忌を行い、今年は再会2年目である。

f:id:umiyamabusi:20070425200547j:imagef:id:umiyamabusi:20060425110858j:image
f:id:umiyamabusi:20060425110820j:image
f:id:umiyamabusi:20070425113452j:image
f:id:umiyamabusi:20070425113559j:imagef:id:umiyamabusi:20070425113626j:image
絹本着色蓮如上人画像・鏡の御寿像(「珠洲市文化財」より)
本願寺中興の祖といわれる本願寺8世蓮如は、文明3年(1471)から7年にかけ、越前・加賀境の吉崎に逗留し、一気にその教線を拡大した。
この画像の願主である良誓は、吉崎で蓮如の弟子となり、御影を受けて一時小松に住んだが、五代後の裕信が伝来の御寿像を持参して飯田総道場(光福庵)に入寺。西勝寺と号した。
裏書きには、かすかに「加賀石」「藤専」「願主釋良(誓)」の文字と蓮如の花押が認められる。
鏡を見て蓮如自ら描いたとの伝承があることから、「鏡の御寿像」と呼ぶ。
縦80.0㎝・横33.7㎝、像高縦32.8㎝・横33.8㎝。
黒衣・墨袈裟をまとい、やや左に向いて数珠をつまぐり、上畳みに座す像で、ふくよかな顔・慈愛を秘めた眼差し・微かに朱を施した意志の強さを示す口元など、上人の特色がよく描かれている。
世上に知られる京都西方寺・愛知淨妙寺藏蓮如画像などに比べると、目元が柔和で、穏やかな相貌をしておれれ出色の画像である。
顔部にやや胡粉が出ているのと、裏書きの剥落が激しいために下付年代のはっきりしていないのが惜しまれるが、吉崎当時の御寿像と認めてよい優品である。
画像上部に、親鸞作『教行信証』の総序の眼目である「弘誓強縁…遠慶宿縁」の4行24字讃が記されている」


文化財が刊行された後で縁起が見つかった。それに拠れば上人67歳の画像とあり、弘化の記録に方便法身尊像が文明14年に下付されたとあるのに符合する。
文明14年(1482)に、良誓がご本尊・上人画像を授かったようである。