太子忌と太子縁起

昨年の暮れ近くになってからだったと思うが、
幸村氏から法話の依頼があった。


その時は時期的に無理で、今年再びお誘いを受けたので出向いたのだ。
民話について話しろとのことだったが、聞けば太子御忌のお参りだという。
民話というわけにもいくまい…
女人往生の軌跡、
太子信仰について、
聖人と海、
和歌・和讚からの教え
の4つに分けてお話しすることにした。
17日午後、夜90分づつ、18日午前、午後90分づつ。


太子信仰については、13年前の4月21日、高岡教区に依頼され、城端で「真宗と太子信仰」と題して話をしている。
その3年後の1997年、県立歴史博物館秋期特別展「太子信仰と北陸」に合わせ、10月19日に「太子信仰と庶民」の題で話をしている。
その後も、職人講の太子講で法話をすることがあり、資料は充分過ぎるほどあるのだが…どちらかというと太子関係は過去のことになっていた。


それが、去年から太子講(御忌)と縁がある。
まず夏に太子講があるのを知って余地光明寺(かほく市)さんに法話を聞きにいった。
その後八組坊守会の引率で井波瑞泉寺の太子絵解きに出会った(7月26日)。
昨年暮れには北陸3県民俗学会で尾田武雄氏の南無仏太子石像の研究を聞き、
今回の太子御忌での法話である。


光明寺さんもそうだったが、幸円寺さんのも井波と同じ南無仏太子像で、金石近辺海岸線一帯のお寺に太子像がある。
「幸円寺縁起」には、善光寺如來と聖徳太子の問答和歌が記されており、能登一ノ宮にも同様の和歌を記した縁起がある。


そのようなことを考えていたら、
「海揚がりの太子」で整理する必要がありそうなことに気づいた。
そういえば光明寺さんに未見の縁起があることも思い出した。ウーム


法話の途中、どうしてこの話を始めたのだろう?と分からなくなることが3度あった。
2度は熱心にノートをとておいでる方に聞いた。いま1度は一番前に座っておいでになって、長年聞法し続けなさっている方に聞いたら分かった。

どこから話し出したのか分からなくなるのは
年のせいではない、プリントを使わずにしゃべるからだ…
と思うことにした。

 
2日もお話ししていると、何人かの方とはずっーと知り合いだったような気がしてくる。


今度、隣のお寺にも話にこんけ…と、前に座っていた方がおっしゃた。
私は、いつもピンチヒッターながや…と答えた。
お説教に出られん坊さんか…?


ほんながでないけど…お説教なさる方に急用でも出来たらいつでも手伝いに行くといっとるげ…、
今まで誰も来いといった人はおらんけど…(うまく説明できない)…


ご縁を胸に、法話に引用した太子の本地が座す山のふところに一泊し、
19日、多くの太子がおわします街道を通って珠洲に帰った。


新たな出会いがあり、別れがある。