門徒会・大谷婦人会


いろいろなことが動き出す月だが、震災で紫会・八組[そ]坊守会が中止。

お話ししてきたのは
定例分では春と秋に行われる12組門徒会が14日(土)、
臨時では14組北部大谷婦人会が1日(日)、
金石幸円寺さんの聖徳太子御忌[ぎょき]が17日(火)、18(水)。


今年は、親鸞聖人御流罪800年にあたり、2月9日に安樂・住蓮たちの処分、御流罪
越後にお着きになったのは今頃だろうということらしい…14日から高田教区ではお参りが行われている。


日々の生活そのものが門徒の生活。
それが平生業成[へいぜいごうじょう]ということで、門徒会では35歳頃の聖人を偲ぶお話しをしようと準備していった。


資料は4枚。小見出し
①海と聖人、恵信尼公消息、ご本尊、讃阿弥陀仏偈和讃
②③「信疑決判」俊寛、「法然上人行状絵図」第34
真宗の広がり(近世年表)


会所[えしょ]は一青の慶英寺さん。
羽咋で勤めていた頃、土日ごとに家と羽咋を行き来する途中に「廿九日」とか「一青」という地名があって、それで一青窈がデビューしたとき、すぐヒトトと読むことが出来た。「窈」は読めなかった。近くに「花見月」という地もある。

「廿九日」はヒヅメと読む。
私のところには「い佐助」[かながしらさすけ]、「七五三守」[しめのもり]と彫った相撲取りの碑がある。
「廿九日」も言葉遊びの類で、ヒトツキのヒヅメだからやや複雑。


こういう風に書いていくと、どこかで脱線しており、どこからこの話がはじまったのか分からなくなる。


1日は100名ほどの人だったが「教えに出会った女性たち」というレジメを用意していったので、脱線からレジメを頼りに戻ることが出来た。
ただ、わたしが勝手に俊寛の里と名づけている一帯の中に会所があるので、讃題代わりに俊寛伝説から入っていこうとおもっていたのに、俊寛そのものを知らないと多くの人が首を横に振られたので大いに困った。


一方の門徒会の方は、メンバーが随分入れ替わっていた。

長年聴聞なさっている方が、休憩時間に難しいとおっしゃった。
俊寛・康頼・成経、住蓮・安樂、藤井元彦・善信。『宝物集』に「信疑決判」さらにmerとmereまで使って「海」を語ろうとするのだから、親しみのない情報が多すぎ話そのものも流れたのだろう。


休憩後は、整理し直して話を進めたものの…質問などから、秋には『正信偈』をザーッといただくのがいいのかなァ…と思いつつ一青を後にした。


結局、どちらも聞き手に対しての分析、思いやりが足りない…に尽きるのだ。



ー紫会関係被災寺院訪問出発予定時間が近づいてきた。お見舞いのお菓子も届いたし…続きはあとでー