蓮如上人と植物

4月17日18日にお話しする金沢教区のお寺のご住職から、
寺報に載せたいので新聞記事か何かで適当なのはないか?と電話が入った。ファックスで、とおっしゃる。


コピーをして郵送というのはOK。
ファックスは苦手。
なぜなんだろうと、考えた。


まだファックスの性能がよくない頃にやりとりした記憶に縛られたいるようだ。
滲んでいて見えなくて、結局電話で確認し合ったことがどれだけあったことか…
今は読めないというわけではないのだが、字はくっきりしている方がいい。
ファックス特有の滲み文字を読む気になれないのだ。
ファックスで…という人は目がいいのだろう。
自分が苦手でも相手がいいのなら送ればいいのに、その操作をするのも面倒なのだ。
タツに入っていて出来るのはメールかプリントアウト。


そうか…ファックスはせかされている気がするし、
納屋を改造した離れた場所に住んでいるので
ファックスのあるところまで移動するのが…
結局面倒なのだ。


金沢東別院から出している『蓮如上人と伝承』をお持ちのはずなので、そこから適宜選んで下さいとファックス逃れで言った。
「七 梅と松など」が綺麗?なのでそこを引用します、ということになった。


読み直してみた。綺麗ではなかったが今の季節に相応しい。4月17、8日は桜がふさわしいことになってるだろう。


そこでは次のように書いている。
>> 
(前略)蓮如上人にも、梅と関わる話がいくつか伝わっている。
上人が挿した杖から五色の梅が咲いた金沢市木越福千寺の梅。
『蒔(ま)きおきし一粒種に八房の実らば弥陀の誓いとぞ知れ』の上人の歌の通りに八房の梅がなった江沼郡山中町(現加賀市)菅谷徳性寺の梅。
梅の杖を地に挿したところ一晩で枝が生じ、八重咲きの梅となった河北郡宇ノ気町(現かほく市)大崎の梅。
塩漬けの梅干しの種から実がなった河北郡津幡町北横根の梅などである。
徳性寺境内には、上人愛用の椿の杖で地を突いたところ、清水がわき出たという『椿清水』もある。

これらの話は、その前の「六、笹の伝承」で触れたとおり

法敬坊、蓮如上人へ申され候う。『あそばされ候う御名号、焼け申し候うが、六体の仏になり申し候う。不思議なる事』と申され候えば、前々住上人(蓮如)、その時、仰せられ候う。
『それは、不思議にてもなきなり。仏の、仏に御なり候うは、不思議にてもなく候う。
悪凡夫の、弥陀をたのむ一念にて、仏になるこそ不思議よ』と、仰せられ候うなり。

蓮如上人御一代記聞書』78箇条(大谷派真宗聖典ではp869)に収れんされていく話である。


塩漬けであろうと梅の種が梅になるのは不思議でも何でもない。
地獄一定の悪凡夫が、
「仏になるこそ不思議よ」なのだ。

 
ここで例に挙げた福千寺さんへは門徒会・坊守会の引率や古陶師匠と共になど、何度か訪ねている。
山中徳性寺さんは、何と初任の羽咋工業高校で先輩だった国語教師・春木先生がそのお寺の方だった(現在住職)。
春木は椿清水から名づけられた姓だということを山中のお寺を訪ねたときに知った。
何度か訪れている。


このブックレットを書くまで、大崎、北横根は訪ねたことがなかった。
ところが大崎の方は、昨年来時々お寺の前を通っており、梅の花蓮如忌の掲示を見て、ここが大崎のお寺なのかと気づいた。
今年は掲示板から、3月31日午後1時半から「蓮如忌」が行われることを知っていた。
当然、御法話があるだろう。
今年から、飛び込み法話聴聞用ーおロウソク料ーの封筒も用意し、その日の来るのを楽しみにしていた。
 

ここが、性格としかいいようがないのだが、準備・予定から実行の間にちょいと距離が出来てしまうのだ。
3月1日の能登教区第一組蓮如上人御崇敬(ごそっきょう)も風邪気味になったことを理由に行かず、
3月31日についても、31日か4月2日のいずれかに入れるべき仕事が入り、2日に回して何か入ったらまずい、早めに終えさせてもらおうと、31日に約束してしまった。
その後、31日加能民俗の会がある旨の案内が届いた。
蓮如忌と同じ時間帯だ。
民俗・大崎がダブらないで、しかも早く予定が分かっていれば間違いなく河北・金沢へ向かっただろう。


ということで、大崎の蓮如忌に出会えるのは早くて来年とあいなった。
今年出来ないことが来年…?
フンという声が聞こえそうだが…、来年こそは…


聞法の道ー遠し。

※大崎専信寺、亀塚御坊の紅梅については
蓮如さんー門徒が語る蓮如伝承集成ー』p113。