一つの言葉

お説教では、教えに関わる多くの喩え話をなさる。
一昨日の晩には、「一つの言葉…」も例に出された。

「一つの言葉でけんかして
 一つの言葉で仲直り
 一つの言葉でお辞儀して
 一つの言葉に泣いている

 一つの言葉はそれぞれに
 一つの命を持っている」


という文なのだが、相当バリエーションがあって、このあとに


「みんなで言おうよ
 ありがとう」


となっているのがある。 


こちらのほうを喩えにあげられた。


「一つの命を持っている」から「ありがとう」にいく過程を検証しなければ使えないのではないか。
ぽーんと「ありがとう」と飛ぶのは、問いを閉ざすのではないか…
というのが私の考え。


それで、昨日の午前中、他のもろもろ話題と共に、
これについてもお客さん(布教師)さんと話し合った。


もちろん「一つの言葉」をちゃんと覚えているわけではない。
ありがとうを取らなかった記憶があるというだけのことである。
それで、私が原点とした本を捜せばいいのだが、前にブログで触れたことを思い出してカテゴリー「真宗(2008年から「真宗行事」、2008年から「真宗行事・資料)」を開いていった。
出てきた。昨年の7月2日に触れている。☞『風の声・竹の声』「一つの言葉」