お盆…山の墓地・野々江城山墓地で。

今朝は5時に起きた。
昨日までの慌ただしさがウソのように静かな朝。


今年のお盆は、相方が怪我をして動けなくなって、山の墓地で大半の時を過ごした。
私は山の墓地と言っているが、市営の共同墓地である。
そこには、多くのお寺のご門徒・檀家のお墓、300以上がある。
飯田城山・春日山の奥なので、最も近くのお寺である当寺関係者が、山で過ごす時間が長くなる。
山から降りていると、「山へあがっても誰もおいでにならなかったので、上がってもらえんけ?」と、時々そういってくる人があるのだ。
迎えに来る人も大変だし、車を走らせて行き来するのも結構大変なのだ。それで、混んでいなくても上で待機となる。

  
お盆の風習は地域で随分違う。
一斉にお参りを行う「コンゴウ」のようなものもあれば、
家ごとの御内仏さまに阿弥陀経をあげに回るところ、
『能都町史』で調べたときには、3日間お墓に参るが、手を合わせてくるだけで、僧侶は呼ばない、と聞いた。


飯田は、1つのお墓に、親戚の家族がそれぞれにやってきてゴボサンに参って貰ったり、
本家だけがゴボサン、あとの親戚は、適宜寄って手を合わす…

など、形態はいくつかあるが、大体、僧侶に偈(げ:嘆仏偈が多い)をあげて貰う。


ピークの15日には朝5時から夕方7時近くまで、
その他の日もかなり山にいた。

問題なのは、山の墓地には全く日陰がないのだ。
待合所はあるのだが、ドンドン奥に墓域が広がったため、そこにいても人が気づかない…それで日差しの中にいる。


14日1日で真っ赤に焼けた。
この日は、前からの約束で、難所の阿弥陀山後のお墓、野々江城山最高地のお墓へも行ってきた。


日焼けと熱り、急に歩き、長時間立っていたことによる足の疲れ…などで14日の晩は寝付けなかった。


ギラギラした日差しの中で汗をかき、水を飲み、汗をかき…の繰り返し…
真宗のお坊さんが思索派、なんて、とんでもない…
現代の修行僧だ…と思ってしまう。


熱いですね…!と、大粒の汗を見て気の毒がってくれる人、団扇でずっと扇いでくれる人、日傘を差し掛けてくれる人、自分だけ日傘をする人…など色々。

 
14日の夕暮れ時の太陽が、すごく大きくて綺麗だった。
15日、握り飯、パンで5時から14時までもたせ、素麺を食べに帰ったついでにカメラを持ってあがった。


前日より暑くなっているのだから、前の日と同じか、よりギラギラとした夕陽に出会えると思っていた、のに、屈折率の関係なのだろうか、夕陽の沈むところが見えなかった。

写真は、その時の夕暮れ時。それまでのにぎわいがウソのように静か。
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16日は野々江城山墓地でのお参り。その他…。
 
16日の山での最後のお参りで、家族に伴われてお参りしていたお婆さんが、おそらく今年もお参りできたことで、感極まったのだろう、泣いておられた、…

今年の冬、脳梗塞で倒れられた大切な方の奥さんがお参りされ、
主人はお参りは出来ないけど…と、差し出された封筒に、左手で書かれたという「お礼」の文字とお名前。
やっと読めるような字に…頑張っておられるのだ、と涙が出た…。

野球部のマネージャだった子が、娘と来ていた。
子供さんは幾つになった?
先生!もう高3ですよ。ついこの前まで、私が高校生だったのに…

いろんなドラマの中で、今年のお盆も過ぎた。
 

今日は、遠方においでてお参りが出来なかった方、老齢で行けないのでよろしく、とお手紙をいただいた方々のお墓参りをした。
暑い。

少し涼しくなったら、盆花を集めるなどの後片づけが待っている。


それがすめば、一気に秋だ。