紫会ー剣地光琳寺さん


剱地で坊守(ぼうもり)会。
今回のプリントは2枚。1枚には、このところブログやメール、真宗講座で色々聞いたことを、多くの人にも伝えたい、との思いで、
親鸞様は懐かしい」「末代無智のお文」「明日ありと…」「討匪行、みほとけは…」「言葉の重さ」の小見出し、それに明日ありとの歌碑の写真をつけたもの。

もう1枚は、お寺に生活するものの心構えと、先人の思いを闘わせてみようと、「赤尾道宗21箇条」を2種類用意した。

結局90分で、最初の1枚をこなしただけだったが、
新たな知見も得た。


深く考えるのは、そういうときも来るだろうと、いうことにしておいて、
いくつかわかったこと…。

親鸞様はなつかしい

親鸞様はなつかしい」を、「なつかしい」という感情なのだろうか?とお感じになった方があった。
私は、詩を書いた人、あるいは協議しあって詩を作った人、その人が、懐かしい、と感じたのなら、フンフン、と、こういう場合には、頷く方だ。

どうなんだろう?との問いに、「懐かしい」と感じるケースは、どういう時だろう?と、
ちょっと面白い展開になった。


詩そのものを書かないでー「尼僧、親鸞聖人の教えと日暮之所感」「玉永寺こころおきらく日記」というブログに載っているー書くのもなんだが、この詩は、歌われ続けられてきたはずだ…どういう曲がついていたのだろう、と指折り数えてみると、今様歌になっているではないか。
だったら、真宗の和讃声明でも、筑前今様でも、雅楽の節でもいい。


重い歌詞ではあるが、部屋で好きな曲想で口ずさむのもいいだろう…
親鸞様はなつかしい…。