ガン患者を前に「…暗い死」とほざいた評論家

他力、自力、一神教ーいずれも理想の浄土があるーその世界宗教を否定しまう発言があった番組を見てしまった。
15日NHKの教育TV、ガンを生きる人たちの話し合いという番組においてである。


ガンといわれ、闘病生活を余儀なくされ、
今、は…スタジオに顔を出し、語ることが出来る人たちではあるが、
何時再発するかも知れない…不安を絶えずお持ちになっておられる方々である。


その人たちを( くどいようだが、いつなんどきという不安と闘っておられる人たち )前に、
若い評論家が「明るい生と、暗い死のはざまを見てこられた方々ですね」と、深刻な顔をして…ほざいた
( 善意でいったのだろうが、想像力の欠如、未経験が作り出す善意の恐ろしさ…を知らないようだ)。

 
暗い死ーまず仏教では「死」とは言わない。
死は生・老・病・死の四苦の代表だからだ。肉体との別れー最大の苦を死とは言わず、
まして浄土を「暗い世界」などというはずがない。

なのに、その人は、再発しているかも知れない人の前で、次に行く世界を暗いところと表現したのだ。
どうしてそういうことが起こるのか?


ー無知ーだからだ。


この世紀、特に最近、人類史上にかつてなかった「今だけ思想」という考えがはびこり、
人を物にしてしまっていると喝破した方があったが、
15日の夜の番組における発言はそれそのものだった。


番組そのものは、アピールせいもあり、善意ですよ、を全面に出した番組だった。


でも「南ニ死ニソウナ人アレバ行ッテコワガラナクテモイイトイイ」( 宮沢賢治雨ニモマケズ )がない限り、頑張った人がいましたね、
だけで終わるのではないだろうか…。
( 暗い世界というのは、暗いから障害があれば蹴躓く、それからはまた躓くのではないかと、不安・恐怖で座り込まざるを得ない、そういう世界なのだ )。
ー浄土は闇の対極ー


苦の最たる「死」を越えんとしたところに釈尊があり、
親鸞聖人の29歳法然上人門下入りがあった。


往生、示寂、寂滅…。


長い歴史の教える経験と、
教え…の「もったいなさ…」。