「五戒」ー人として生まれるーという考え方

六道があり十界がある。
途中まで重なるので、重なる部分である六道(六界)を表せば、
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天となる。


例えば畜生。
畜は家畜の畜である。狸が家畜だとしよう。
狸の生を生ききるのではなく、
人間に食べられるための狸もどきの生を歩むのを畜生という。
「何々の為に…」と口に出していうきれい事が
なぜうさんくさいかというと、無自覚に「畜生」を生きているからだ。


電話を使ってのサギや、携帯を使ってのワン切り、メールを使っての誘惑などは、
金しか見えない「餓鬼」道しか見えない人がやっていることになる( 最近メールは誘い系メールに支配されてしまった。毎朝削除するのは疲れる。あれはアメーバーでもあるー
後で受け取り拒否にすればいいことに気づいた )。
 

「人間」…信心によって生死を越える生き方が出来ますよ、に気づかせていただく「人間」
に生まれさせていただいた…のは、
父母を生まれる縁として、それまでの長い生々流転において「五戒」を保ったことがあったからだとの教えがある。


五戒は、貪欲、偸盗、邪婬、妄語、飲酒の戒め。
それを守ったため、今生において、人間の体を借り受け、生まれさせていただいた。
どの人も、そうなのだから、拝み合っていかねばならない。


なのに、遺伝子的には子孫を残す争いの種を有して生まれているので、
生きるという争いになっている。
そのエネルギーを人間を越える世界をめざすために向けるのを「自力」という。
存在は、はじめから「自力」を内包し、絶えず、地獄・餓鬼・畜生・修羅・天を生成していく。
そこに留まる限り、
生まれてきた意味がない…。
 

そして、借りた体を丁寧にお返しして、仏教では仏様が教えを説いている浄土。
キリスト教イスラムもかな)なら懺悔によってキリストのいる天国に帰る。


お借りしている体だから、暴飲・暴食は避けた方がいいのだろうな( などと、思いつつ、つい煎餅に手を出そうとするのを引っ込めたり… )
などと、考えていると、
いい…。