平国祭について

先日(3月21日)行われた平国祭に関しては、
鹿島町史』民俗編、
『図説七尾市史』、
能登のくにー半島の風土と歴史ー』などに書いた。
今、見直してみると図説はかすった程度で、
最も詳しいのは『鹿島町史』だろうか…。
平国祭の初見は、天正11年(1583)、
当時は「所口御神幸」と言われていた。
この神幸に伴う数々の行事は、
無形民俗として極めて重要なものでもある。

気多神の神格は何度も変化している。
ケタ(鮭)、気多神(浅香年木氏説の童子など、浅香氏には気多信仰論もある)、
能登名跡志』では伊勢と同体とも記している。

基本文献『出雲風土記』を読めば、若い国:出雲へ多くの文化が入り込んでいることが分かるし、
その文化先端地の一つに能登があったことが読み取れる。


なのに、能登を愛するという匿名のブログの中に、
能登は出雲の植民地のような地域だった、ととんでもないことを書いてあるのを見かけた。
その思いつきは大国主からなのだろうが、
気多が大国主と結びつくのは、そう古い話ではない。


匿名には匿名の良さがある。
ただ、既に歴史や民俗の研究成果があるのに学ばず、
思いつきの好き勝手( しかも、根拠もないのに地域優劣ー喩えが植民地などは論外だーをつけるようなこと )
を書くのは、慎まなければならない。


まあブログは楽しみで書いておられ、気づけば訂正・削除も出来る。
が、研究者の書いた本のミス、思いこみはどうにもならない。


地元の研究者で、地元の市町村史に、建物が小さいから札所はなかった、
とあらゆる文献、資料の存在を無視して書く人もいるのだから…
と、グチめいてきた、いやグチそのものになって
エスカレートしそうなところに一冊の本が届いた。

神奈川大学日本常民文化研究所論集22。平凡社刊。
1号から頂いている。決して人を批判しないで、淡々と調査報告を書いてきた本だ。
いつもいつも、申し訳ない。
ハイ、静かに読みましょう。
f:id:umiyamabusi:20060328220353j:image