説話文学研究での執筆ー出雲路修氏ーなど

今年は仕事上( 本職外 )静かな年だが、それでも、いくつかの予定が入った。


7月末日締め切りの原稿は、去年の6月に依頼文が届いた。
加賀市出雲路修氏からの手紙で、書いてみましょうか、
とお返事を差し上げたら、6月下旬に出版社から正式な依頼が届いた。


前に金沢工大で講演をし、原稿にしていないままのものがあるのと、
テーマーを絞ってなぜ山王の使いである猿がやられるのか? の疑問を自分なりに分析してみたい、
という思いがあって、図々しくもお引き受けした。


その会は、「説話と説話文学の会」というので、6人の編集スタッフがおいでになる。
説話文学に関心はあるのだが、そのメンバーの中では出雲路さんしか存じ上げていない。
その、出雲路さんともどこかでお会いしたことがあるのかどうか?
早くからその存在は、存じ上げていた。


五来先生が、よく東洋文庫(平凡社)とおっしゃっておいでになり、
東洋文庫で『木葉衣・鈴懸衣・踏雲録事』をお書きになった。
修験の基礎文献で、修験者の記録がポピュラーになったはじめの本であったらしい。
それで、東洋文庫の名を覚えていた。
別な機会に『神道集』を利用しようとしたのだが、
原点ではなくて使えなかった。
そういう思い出もあるのだが、定評のあるシリーズだった。
出雲路さんはその東洋文庫に『御ふみ』を書いておいでる。
私にとって、『御ふみ』は基礎・原点になる本だ。

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神道集』は、貴志正造訳、文庫94、昭和42年刊。その7版目を1970年12月に購入している。450円。
木葉衣…』は副題に「修験道史料1」とあるから、シリーズを考えておいでになったのだろう。昭和50年刊。文庫の273。1000円だった。
『御ふみ』は文庫の345で、1300円。
お文を書誌学的に分析した成果で、1978年の刊行だから、なんと、出雲路さんが30歳の時の本なのだ。


わずか30歳で、これだけをまとめる方がおいでになる、なんと世の中は広いのだろう、
と思った、その方から、突然手紙が届いた…のだから、
ミーハーではないつもりなのだが、いつも結果的にほとんどミーハー、
としては断るわけがない。


先の方で、ちょっといい格好しいの理由付けをしてみたけれど、本心では『御ふみ』にサインして貰おうと、
どこかで考えているのだ。
唯、どこでお会いする機会があるのかが、分からない、というだけ…。
そして、かりに実際出会ったとして、つい、やあーとかいいながら握手したり、
お会いできて嬉しいですよ、などというものの、
サインを下さい、と切り出せないで、あとから、またいい格好をしてしまった、
と嘆いている自分がいるイメージがある。
  

ところで、出雲路氏以外の5人のスタッフは、紹介肩書きを見ると、いずれも研究者。
私が知らないのは、出雲路さんのような例は別として、年配研究者にしか興味が無かったためで、
現在、知られている方が多いのだろう。
その方々の名を挙げておく。

芳賀紀雄(筑波大学教授)、田村憲治(愛媛大学教授)、池田敬子(京都府立大学教授)、山本登朗(関西大学教授)、森直理子(京都大学留学生センター教授) 
それに、依頼のお手紙に、研究者を対象とした書物で、
大学院生にも執筆を依頼したことがなく、低レベルな啓蒙的なものにならないよう、気をつけています。
とあった。


そろそろ、自らにプレッシャーをかけていかなければならないのだろうな…。
こんな本に書くのだから、周りももう少し尊敬の目で見てくれてもいいのだが


…缶ビール片手じゃダメか。







次に控えているのは、同窓会の打ち合わせ(2月10日)のあとに気づいた電話。
かけなおすと、「日本宗教民俗研究会」の理事の方から。
新しい真宗民俗論の展開?をテーマーに年会を開くから発表を。だった。
ノートには6月10日の場所に読めない字で書いてあるので、この時、発表なのだろう。
場所は京都のどこか…。



そして、つい先日9日に、石川県民大学校「石川を知る講座」担当の方がおいでになり、
今年もバスツアーを、ということで、9月12日(火)に日を決めさせていただいた。
本当は、早くやった方がいいのだろうけど、珠洲の文化ホールが出来るので、県も支援しなければならず、この日ぐらい、にとなった。
3日の日曜には、中島なんとかさんという骨董の有名人をホールに招聘することも決まっているそうな。
このツアーは、一昨年以来、色々あって面白いのであとで詳しく記す。
今回は、40人乗り大型バスで動くという。泰澄・義経・白比丘尼の旅を仮題につけておいた。興味のある方は是非。


そして、さらに、一昨日の11日法藏館から手紙が届いた。
いつもの本紹介と微妙に違っている。宛名が西山郷史先生だ。後ろを見ると、編集長上別府茂氏が差出人。


宮田さんの全集にふれ、情報として掴んでいた五来先生の全集も出る。
そのうち、網野さんも…だろうから、初期、能登に入られた頃のお手紙を、ここに紹介しておこうと思っていた。


著名な方々の業績は、手紙にも色濃くその研究の指針が残るのだ。それで、全集には手紙編というのも、つく。
いつか、その必要にせまられて、インターネットで「網野善彦」を検索したら、能登でひっかかった、ということになるかも知れない。
しまい込んでいたら、ダメなのだろう、と「網野さんの能登」をこのブログに書こうとしていたときに、届いた手紙だった。


何だろうと開いてみると、
「『五来重著作集』(全10巻)の「月報」原稿執筆のお願い」とある。
5月から刊行。全集の詳しい内容はあとで…書いてある。


どうしたのだろう、今頃。
五来先生の思い出を語るお弟子さんたちのうち、急に書けなくなった人でも出来たのだろうか。
それとも上別府(後輩なので呼び捨て)に、『能登国三十三観音のたび』を送ったので思い出したのだろうか…。   電話で聞いてみよう。
ともあれ、これは6月いっぱい。


そこに先ほど、郵便が届いた。『日本民俗学』245号があった。いつまで放っているつもりですか、と叱られて書いた書誌紹介が載っていた。これも、記録に残しておかねばなるまい、それは後日ということで…。


でも、たとえば、五来さんの思いでの原稿を頼まれた、何を書けばいいかな?
ほーら、海の修験道に関する展望を『角川選書』に書いておられるじゃない…あれをヒントにしたら…
といった、対話相手がいない、ということはつらい。
独り言人生、だ。

 
といいつつ、時は流れていく。