友貞家旧地調査、花粉症ー珠洲市


花粉症かも知れない、と思うたびに、思い出す光景がある。

それは、江戸時代の道を調べ歩いた平成7年か8年頃、
外浦の草分け家の一つ、20俵扶持の初期十村友貞家旧地と伝わる「大山蛇ヶ池」という地を調べに行った時だった。
山間のその地には、もう池はなく、池に浮かんでいたと思える小さな小山に石で作った龕<ガン>があった。
その近くの三叉路には、中世の5輪残欠が数基あったと記憶している。


ここが友貞家旧地と言われているところですよ、と教えてくださったのは、
高校の時の日本史の先生だった。
次々に伝えていかないと、伝承地は忘れ去られてしまう。


その後、忘れないようにもう一度訪ねてみたか、あるいは、それ以来始めてであったか…。
ともかく、龕の大きさを調べよう、あわよくばもっと深いことが分かるかも知れないと訪ねたのだった。


人が訪れなくなって久しい盆地(低地)に、杉がいっぱい育っていた。
その杉の実の花粉がポンポコポンになっており、今にもはじけそうだった。

 
一本の木に触れた。
それとも、触れたのではなく、一陣の風が吹いたのだったのだろうか…。


前が見えないくらいに、花粉が飛び、一帯は真っ黄色になった。
花粉を胸一杯、思い切り吸い込んだ。
そして、まもなく、触れたか風で一帯はふたたび真っ黄色。
そして、胸一杯の花粉。


調査に来た証しであるかのように、
自然と一体になっているとの至福感を確かめるように、
粉を吸い、見たこともない黄色い光景のただ中でたたずんでいた。



その後、だいぶ経ってから、杉花粉・花粉症という言葉を聞いた。
だから、その出来事は、歴史の道『能登街道』調査前の記憶かも知れない。


花粉症にかかった、という人の話を聞くと、
お気の毒と、笑っていた。全く人ごとだった。
田舎に生まれ育った人間には関係のない世界の話だと思っていた。
それが、数年前からおかしくなったのである。


今日は、もう、ひどかった( 今もグスグス、頭痛、時折くしゃみ、涙目、肩こりーこれは関係ないか )。


住む人がいなくなった地に、のんびりと楽しげに育とうとしていた杉たち( 背丈はまだ低かった )を、
思出さざるを得ない。


そして、春だ春だと、喜んでいた、この数日。
イヤア、やはり、先はわからんものだ。
せめて、春めいてきた写真を載せておこう。