宮田登氏ー「白」とさまざまな黒壁ー『白のフォークロア』

5日(日)の北陸中日の「出版情報」に
「宮田民俗学を集成」の見出しで
吉川弘文館から『宮田登 日本を語る』(全16巻)が刊行開始。
宮田登(1936~2000年)は歴史学や宗教学などの隣接初学と協働し、
都市や旅、女性や子供、妖怪や流行の民俗など斬新なテーマーを開拓しながら、1970年代以降の日本の民俗学をリードした学者。
シリーズは既刊の著書に収まっていない論考やエッセーや講演などから編集された。
(略、以下各巻のタイトルなど)」
との記事が載っていた。


宮田登氏(以下敬称略、あるいは、さんで書く)は、
ここに書いてあるように、民俗の代名詞のような活躍をなされた方で、
全集にその名がないと本が売れないとまでいわれた人だった。
2月24日に書いた『大系 日本歴史と芸能』にも編著者に名を連ねている。
「節談説教の風土」を書くに至った経緯
このブログが提携している「はまぞう」というので宮田さんの本を検索すると
168冊(共著を含む)もヒットした。


当然全集が出るべき方だが、
「既刊の著書に収まっていなかった」ものを編集したというのは、
どこまで膨大な仕事をなさったのか、見当がつかない。
もう亡くなられて6年になろうとしているのか。


宮田さんは筑波大学の先生だった。
私は京都・大谷で民俗の手ほどきを受けた。
そして、珠洲に住んでいる。
接点はあまりなさそうなのだが、
宮田さんとの間にいくつかの思い出がある。


あの人の初期の作品で、
これはすごいと思って読んだのが「白のフォークロア」だった。
1973(昭和48)年発行の『状況』という雑誌に載った。
後に宮田さんとお会いして、「白のフォークロア」のすごさを語ったのだったろう、
宮田さんは、あれは『状況』に書いたのでしたか、どこに発表したのだろうと思っていた…とおっしゃっていた。


あの人はすごい語り部だった。
語ることからヒントを得て、それを調べて聞く。
その方向性が、次の民俗学全体の課題となる、という風だった。
そして、その語りがめっぽう面白いのだ。
今から思うと聞いている人の反応で
新たな問題の所在を探っておいでたのかも知れない。
語ったことが、そのまま、本・論文になるという風でもあった。


その「白のフォークロア」は

『原初的思考 白のフォークロア』(大和書房、1974年刊)

に収められている。
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次の想い出は、ある夜、宮田さんから電話が入った。昭和60年頃かと思う。
「黒壁」の写真が手に入らないかという内容だった。
手元に黒壁の写真はなかった。
それで、持っていそうな人を、紹介したのだったと思う。
そういういきさつで載ったのが

『旅とトポスの精神史 妖怪の民俗学 日本の見えない空間』(岩波書店、1985年、p231)

の写真である。
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この本の写真は、ほとんどが内藤正敏氏の撮影で、それとは関係ないのだが暗くて小さな写真だったような気がしていたのだが、今、見直してみると1Pに2枚。暗い印象はない。
この部分、宮田さんは次のように書いている。p229~(PDF)(キャプション丸万坊は九万坊の誤り)。


宮田さんが黒壁を取り上げたのには伏線があった。
『妖怪の民俗学』が出る前年、1984年に出版された『都市の民俗・金沢』(国書刊行会刊)に、
宮田さんは、「はじめに」と、
「『都市の民俗・金沢』へのアプローチ」と題する解説をお書きになっている。

このアプローチは、1986(昭和61)年に刊行された
『現代民俗論の課題』(未来社刊)に転載され、この文の基本が述べられている。
また、『都市の民俗・金沢』においては、
向井英明氏が
「魔所論」で黒壁について触れている。