奥能登社会教育振興会ー略して「奥社振」講義


奥社振という言葉を始めて聞いた。
正式には「奥能登社会教育振興会」という。
そこからの講演依頼が去年、何度かあった。
去年までは、社会的に動き回っていた(資料館館長、教区会議長、加能民俗の会副会長)、地域でほどほどに活躍していた名残りがあった。
それで、
奥社振です。講演を…という電話を何度か受けたのだ。


結局日程が折り合わず、お話しできたのが平成17年度理事会並びに臨時総会(11月24日)だった。


その時の様子などを書いた冊子が先日届いた。
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題して『能登の虹』。副題に、平成17年度活動の歩み 奥能登社会教育振興会、
とある。表紙は麦屋節の写真。65ページ、
奥付けには、事務局:輪島市三井町須衛10-11-1奥能登教育事務所内社会教育課とあり、
発行日などは載っていない。ちなみに事務局は、能登空港内にある。
このような冊子があることも始めて知った。
講演しなかったら知らないままで終わったに違いない。
世は広い。


公の冊子だから、転載もOKだろう。
その時お話ししたことについては、このように書いてある。

理事会記念講演「能登の歴史と文化」

             輪島市教育委員会 華岡一哉


冒頭に言い訳をする。地元の歴史について興味がないわけではない。
図書館へ行き、何冊も発行されている書物でもひもとけばよいのだが、日々多忙にかまかけて、あとまわしにしてしまっている。
何10年も積もり積もった怠惰の結果、一般常識的なことすら知らずに密かに赤面することも過去に数多くあったことを恥ずかしながら告白せざるを得ない。
そんな私にとって、能登地方の歴史や文化に特化した話し話をきけるということで今回の講座はことさら楽しみであった。

能登はやさしや土までも」「あえの風」といった聞きなれてはいても深く意味までは知らずにいた言葉の考察から始まり、
今様・近世歌謡についてや、
毎月8日は薬師如来、15日は八幡様の日であるといった節目や縁日に関する蘊蓄〈うんちく〉など、
内容は多岐にわたり、能登地方の風習・祭事を交えながら、わかりやすく説明していただいた。

話すにつれて次から次へと話題に枝葉が付き、幅広く膨らんでいく。
その度に「なるほど!」と感心することしきり。
終始飽きることがなかった。
ただ、本来は多大な時間を要する講義を何十分の一の時間での制約であり、ほんの序段に過ぎないことは明白であった。
しかしながら、私にとっては我が身の無知さを改めて痛感させられる講義であり、また、その反面として多くのことを知得できた貴重な時間となった。

長い時間の中で生み出されていく精錬されてきた文化にはどこか心を揺さぶられてしまう。数多くの先人の英知や呻吟〈しんぎん〉の結果として生み出され、
時代のうねりの中を人から人へと途切れることなく伝わってきたという事実を考えると、些細な事柄であってでさえも心躍らされる。
例えば、先人が毎日の暦に意味を付けた明確な理由は今となってはよくわからないが、人の心の温かさ、弱さ、楽しみ、苦しみなど全てをひっくるめた人間らしい「生」の味わいをそこに感じるのであろう。

今回、歴史や文化を学ぶことにより、過去の上にこそさまざまな形で現在が成り立っていることを再認識できた。
執り行われている行事や物事の意味を知ることが、
暦の移り変わり中で暮らす上での潤いになると強く感じ、今まさに生活している地域の歴史を、
日本・世界の歴史を知ると同程度以上に知ることで、いっそう心豊かに暮らすことが可能になると思う。

人の流動化が激しい都会では、新しく多様な文化が急激に生み出される反面、伝統的な文化が消失しているのではと危惧する。
文化の急変の良否については私が判断できるものではないのはもちろんであるが、
私にはどこか薄っぺらになってきているように思える。
そういった意味では、能登半島は半島という地勢のおかげで、
古くからの伝承が今も少なからず残り、懐が深い土地であると言えるのではなかろうか。
この能登の文化を大切に継承し、この地を多くの人に訪れてもらい触れて欲しいと感じた。 

以上のように私には大変充実した時間であったが、講師の先生がこの郷土にどれほど愛着と誇りを持っているかが私の胸の内に静かに染みこむように伝わってきたことが、私にとってこの講義の最大の魅力であったと思う。

あっちへとび、こっちへとび、をまとめるのは、華岡さん( お話ししたことはないと思うのだが )、大変だったろうな。
※20080121 追記 母や叔父がテッチャンと呼んでいる従兄弟が華岡姓だ。
母が従兄弟なら、この人は私と又従兄弟だ…。
ピンと来ていなかった。