講義「文学の背景ー能登の文学風土」中能登町

結局今回も寿司のパックを買い、
会場がある「能登まほろばの郷」の丘で景色を眺めながら、
パックの寿司を食べた。
風は冷たかったが、石動山の山脈( 木の上の方に見える山が石動山 )が見え、
右手には久江<くえ>の集落が見える。
目の前には邑知潟に通じる長曽川が流れる。
f:id:umiyamabusi:20060304220820j:image
中央部が石動山

久江は「もったいなやな道閑<どうかん>様は75村の身代わりに…」
と歌われた久江の十村(他藩の大庄屋)道閑の里であり、
11月23日に書いた「シンラン大師は久江の谷内」の舞台である。
「シンラン大師は久江の谷内」

道閑は、検知に反対し、3人の子供共々はりつけになった。
道閑公園には道閑の墓があり、子供のための地蔵堂がある。
この事件は慶安4年(1651)のことだったが、
それより180年前の文明3年頃、久江と一刎<ひとはね・氷見市>を結ぶ山道のある指ヶ峰の峠まで蓮如上人がおいでになって、
能登方面を見渡し、
「この先は仏法有縁の地である。訪ねなくとも仏法が繁盛するだろう」と、
そこから帰られたとの伝承がある。
一刎八幡神社の柱には、蓮如上人がお書きになったと伝わる6字と9字の名号が残っている。


f:id:umiyamabusi:20060304220842j:image
どこかの山が指ヶ峰。
手前橋の架かっているのが長曽川
この山脈の向こうが一刎。


そのような光景が一望でき、
土曜日で食堂が混んでいたおかげだと、つい感謝。
講演の導入部も決まった。


その浮き浮きした気分で、講演会場と並んで建っている「能登上布会館」へちょっと顔出しした。
f:id:umiyamabusi:20060304220902j:image
円形ホール2階が講演会場。下は図書館などになっている。
建物の奥、山脈一帯に能登最古の古墳群である雨の宮古墳群がある。
左の瓦葺きの建物が能登上布会館。 


昨年訪ねて写真を撮った、
その写真を『能登国三十三観音のたび』に上<かみ>陽子さんの文中で掲載させていただきました。
と伝えるためである。
 
 
1人の女性がおいでた。「この本の85pに…」というと、
西山先生ですか?
この写真の真ん中に写っている人は、今、先生の講演を聞くために隣(講演会場)に行っています
とおっしゃる。


f:id:umiyamabusi:20060304220914j:image
開演前の様子。このあともボチボチとおいでた。


会場で、講演というか講義というか、が始まる前に、
今、上布会館へ寄ってきました、というと、
その方が写真に写っているのは私です。眼鏡を取るとこんな顔です。
三十三観音の本を手にしながら、にこやかに自己紹介なさった。
その方が、覚えていないのですけど何時写真を撮って行かれました?
とおっしゃるので、
6月頃じゃなかったですか…とお答えしたのだが、
帰って調べてみると1昨年の9月だった。
私も覚えてないのですけど…、と答えれば素直でいいのに、
なぜそう言えないのだろう。つい見栄を張ってしまう。


今日のは、
元鹿西町図書館を拠点にしたいくつかの文学サークルの総会があり、
その流れでの講演である。
去年、義経の旅で珠洲へおいでになり、その時、私のお寺の本堂でお話ししたものの、時間が足りず、
その第2部のような形で、今日の講義となったのだ。
レジメの一枚目の10行目までで60分経った。
残りをザーと40分でお話しした。


私の話しは、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりの独り言みたいな話しで、
聞いておられる方は随分疲れるのではないか、と思う。


昨日、夕刻に缶ビールを2本飲んだら頭が痛く、一旦布団に入って寝た。
23時半に目が覚め、コーヒーを飲んで、昨日の会議での発言を反省していたら目がさえて眠れなくなった。
それで、帰りは眠くて大変だったが、
私にとって、「能登まほろばの郷」の景観をじっくり味わうことが出来た、記念すべきに日になった。