蓮如上人の和歌・『蓮如さんー門徒が語る蓮如伝承集成ー』

先日、知り合いのお坊さんが勉強会で用いてる本にあなたが書いた文が載っていましたよ、とおっしゃった。
四季社の本だと言う。
四季社の本は何冊か買った覚えがあり、時々本を買わないかとの電話が入るものの、その出版社の本に書いた覚えはない。
西山という名はあちこちにあるし、著名な学者も多くおいでる。
西山間違いだろうと思った。


その後、教えてくれたお坊さんは、西山間違いだったとはおっしゃらない。
気になりだした。
本を見せて貰った。
確かに私の名が載っている。
本の名は『浄土真宗』。
f:id:umiyamabusi:20080121100443j:image(2008年1月21日に追加)
その文は次の通り

 「蓮如上人と和歌
 
 極楽へ我行<いく>なりときくならば(タイトルー西山註)


  蓮如の和歌は信心をわかりやすく詠<うた>うものが多く見られる。

  
 明けくれば信心一つになぐさみて ほとけの恩をふかくおもへは

 まきおきし一粒たねに八つ房の みのらば弥陀の誓ひとぞ知れ

 かたみには六字の御名をとどめおく なからん世には誰ももちいよ

 極楽へ我行なりときくならば いそぎて弥陀をたのめみな人

 なに事もみなうちおいて一すじに おしへのごとく心もつへし

 つくづくとおもひくらして入相の 鐘のひゝきに弥陀ぞ恋しき


 また、過ぎ去っていく月日をかえりみた情感あふれる歌もある。

  
 七十地に身はみつしほのにしの海 舟路をてらせ山の端の月

 いたつらにすくる月日はいつの間に 五十有余は夢のうちなり

 八十地もてみてる命の老らくの 月の夜舟をまつや彼岸 

 平易な仮名で教えを説いた蓮如にとって、和歌は仏法を説く重要な方便であった。
 蓮如と言えば『御文/御文章』が有名だが、蓮如の和歌に触れることで、ますます浄土真宗への理解が深まるだろう。

(参考)木耳社刊 西山郷史著『蓮如真宗行事』


「蓮如上人と和歌」の引用文(PDF)

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引用和歌は、『蓮如真宗行事』に載せた41首中の一部である。
私は同書(改訂版『蓮如真宗行事ー能登の宗教民俗』による)p55に


蓮如といえば、お文<ふみ>(御文章)がよく知られているが、
和歌も数多く詠んでいる。
稲葉昌丸編『蓮如上人遺文』などで、
蓮如の歌は3百数十首採取されている。
今回の調査で以下の和歌を見いだすことができた。
大部分は同書に含まれておらず、蓮如に仮託した歌も相当あるはずである。これはこれで蓮如に対する思いがうかがえて興味深いのだが、
本人の歌と仮託のものを見分けるのは難しい。
蓮如和歌も、一括して扱っておく。
内容は伝説の中での奇瑞を示すものや、
年齢に対する述懐、
地名を詠み込んだものなどで、
心に次々と浮かぶ思いを、サラサラと流れるように書き置いたもののようである。
それだけに平易でわかりやすい。
それら、一首一首のやさしさは全体を通して読んでみる時、
深みと広がりを持った姿に変わる。
蓮如の大きさというのはこういうところにもある。


全体には他力の教えを説く一大宗教詩になっており、
他宗における御詠歌となるべき質のものであった。
しかし、蓮如歌は御詠歌にはなっていない。
説き伝える真宗の唱導と、
叙情性の強い和歌とは相容れないところがあり、
また、人間蓮如の苦悩が直接歌われているからである。」
と書いた。
 

これらの歌には、全て背景がある。
一例を挙げると、
引用最初の歌「明けくれば…」は、
上人に帰依していた松任城主・鏑木兵衛が文明7年8月28日、上人吉崎退去の折に吉崎から小浜まで見送った。
その別れ際に上人が与えた歌。
のように全ての歌に背景、説明をつけておいた。



とらえ方は色々だから、
この本の文に対する細かいコメントは避けるが、
要領よくまとめてはある。


ただ、周りに私の書いた文を勉強していて、
本人が知らないのは格好悪い、
という程度の理由で
引用しましたよ…
と知らせてくれてもいいのではないか、
と…思った。


この文章のさらなる原点は
次の書物である。

蓮如さん―門徒が語る蓮如伝承集成

蓮如さん―門徒が語る蓮如伝承集成

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蓮如さん 門徒が語る蓮如伝承集成』
1988年、加能民俗の会企画編集、橋本確文堂出版室刊。
加賀の一向一揆500年に向けて、
加能民俗の会としても、何かしようと、会の総力を挙げて出した本。
蓮如上人の言葉と和歌」はp247~