トキハジメー斎始め(ときはじめ)

在家(門徒さん宅)での最初のお参りー最初の月命日のお参りを「斎初め(ときはじめ)」という。
昔は、お参りの後に一緒にお斎に着いたのだろう。
当寺では、野々江地区で斎初めのお参りがあり、「春勧化(はるがんけ)」の在所お座は一軒一軒ではなく、地区の斎初めとみなされる。
この時期、お寺によっては「トキハジメ」でご門徒宅へお参りに出かけられる。


先日(3日前)、そういうお寺の坊守さんから、
「トキハジメ」の字と、意味を知っていたら教えて欲しいとの電話があった。
坊守さんは、「ボウモリ」と読み、真宗寺院の奥さんに対する呼び名である。


その少し前には、別のお寺の住職さんから、
本堂外陣(げじん)を取り巻くように板が張ってあるところを何というのか?とのご質問を受けた。

 
知っていることは答えられるし、
分からないことは本を調べるか、
この人なら知っているに違いない、という人に聞く。
外陣外回りは分からなかったので、建築に強い人に聞いてお答えした。
外縁(そとえんーこれは日常的に使っている用語である)に対して内縁(うちえん)。納得。
そこと畳の間に立つのが襖(ふすま)ではないから、障子戸。
納得。


「トキハジメ」については、トキハジメ…、…、トキとつぶやいている間に思い出した。
『日本民俗大辞典』に書いた項目の一つを転載した本がついこの間届いていた。その項目が「斎(とき)」ではなかったか?
と、その本=『日本民俗小辞典 死と葬送』(吉川弘文館刊)見てみると、
確かに「斎」が載っている。
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何でも書き込んでいるノートに、何時届いたのかが、うかつにも書きこんでない。
発行は昨年末12月20日だから、そのころなのだろう。
能登国三十三観音のたび』が、出来た、できないでバタバタしていた頃だ。
ともあれ、そこには次のように書いた。

斎<とき>

法要の際、会食に供される精進料理。
お斎、時食<じじき>、斎食<さいじき>ともいう。
もともと斎は、神仏をまつる場所、あるいは斎場に出るために心身を慎む斎戒をさし、仏事や節の日も斎という。 
斎には普段と違った特別な食事を共にすることから、
その時の食事そのものも斎というようになった。
606年(推古天皇14)に設けられた4月8日・7月15日の斎会や、
天武期に大陸から伝わった月ごとの六斎日には、
祭日ということで種々の戒律が課せられたが、
中でも食事に関する戒の斎食が重んじられた。

戒律では、正午以前が正時であり、
食事はこの時にとるべきであって、
正午以後の非時に食してはならないとする。
正時であるからトキと呼び、
トキ中の食であるから、その食事もトキと呼んで斎事の字を当てた。
トキに対する午後の食事は非時であるが、
仏事に伴う精進料理という性格上、
午前・午後を問わずに法要時の食事を全てトキというようになった。

満中陰を待たずに、3日目に仕上げの法事を行うのを3日斎という。
北斉の梁氏が地獄に堕ちたが、
遺族が僧を招いて斎を供養して追善を積んだ功徳により、地獄の苦を免れたという故事にもとづくもので、
死後3日目に僧を招いて斎食を設ける。
盆施餓鬼を思わせる故事であるが、
いかに斎に功徳があるかを物語っている。
西日本の一部で、正・5・9月の16日にを精進して仕事を休む風習を斎の日という。 
年が明け、門信徒宅での最初の仏事を斎始めというのも、
共同飲食が伴っているからに他ならない。

参考文献ー佐々木孝正「本願寺教団の年中行事」(『仏教民俗史の研究』所収、1987)
(西山郷史) 」

p130~131

この文章と、全く同じ文章で2000年に発刊された『日本民俗大辞典 下た~わ』吉川弘文館p201を、ファックスでお送りした。

『日本民俗大辞典』には1996年(平成8)10月5日に9項目を書いて送った。
それが発刊されたのが2000年(平成12)3月20日
3年半を要している。大きな仕事だったのだ。
その中からジャンルごとに小辞典が出来てくるのだろう。
その1冊が『死と葬送』だったのだ。