一般書
3日から4日にかけて買った本は次の通り
(大きさは実物の18.75?)。
『心にひびく加賀の休日』
九谷焼美術館で現在開かれている「古九谷浪漫 華麗なる吉田屋展」とタイアップして発刊された書物。
題して『心にひびく加賀の休日 九谷の彩り 器紀行』
違いが分からない人間にとっての対極の世界。
少しでも、こういう美と近づければ…で購入。
すてきな本だ。
「青春の歌」
CDと雑誌。
雑誌にはギターコードが載っている。
ギターも部屋の片隅においてある。
弾き語りをしようか…と思いつつギターを眺めるだけで、最近歌ったことがない。
年賀状に、ギターやってますか?
と書いてくる昔の友もいるのに…歌えない。
腹つづみなら打てる…、じゃ、まずい。
声明で身についたこぶしを押さえ、…青春ソングが響き渡る日がくるか…。
『旅する民俗学者 宮本常一』
人と人とふれあいの素晴らしさを語り、
人の暮らしに暖かい目を注ぎ続けてきた宮本常一。
例えば内藤正敏が宮本に学んだ時のこと。
東京出身だといったら、宮本は
子供の頃、イタズラして外に放り出されたことがあるだろう、といった、という話からはじまり、
関西では締めだしても他人がかばうのでしつけにならない。
それは関西が母系社会だからだ。
大店〈おおだな〉では、働きに来ていた人々の中からこれと思う人物を選んで婿とし、
店を守り育てた。
関東大震災で多くのデパートが経営破綻したのに、
三越など関西系のデパートが生き延びたのは、
長年のそのような蓄積によるものだ。
男の跡継ぎは?
それは、しっかりした嫁といっしょにさせ、芸事などをさせておく。
上方落語の奇想天外で面白い話はそのようにして育った。
というような話が、次から次へと語られるていくのだ。
昭和41年から刊行が始まった『宮本常一著作集』(未来社)は現在46巻。
著作をすべて網羅するには、100巻をはるかに越えるといわれている。
日本中の村を歩いたといわれる宮本。
せめて著書を通して歩きたい、そう思わせる一冊。
『人身御供の民俗学 神、人を喰う』。
今、唯一残っている宿題の為に買った。
この本は、生け贄・人柱などについて論じたもの。
人身御供について民俗学は論を避けてきた、というところから出発する。
まだ一部しか読んでいないが、尾張の一種の人身御供である儺負いの役割を論理的に克つ淡々と分析する。
この手法は、どこかで見たぞ。
この人の文には、気負いがない分説得力がある。
この書き手に将来、宮本常一のまなざしが備わってくれれば…と思うのだが、
時代が違ってしまっているのだろう。
ころで、私が70枚ほどを約束して書こうと思っているのは、
済度される鬼神なのだ。
「神、人を喰う」から、人の代わりに供儀を差し出し、
その一方で、神はおどろおどろとした名=鬼神(猿鬼)をつけられ、
退治される。
その退治されていく猿鬼たちにも目を向け、
救いの手を差し伸べるのが真宗の説教である。
タイトルだけは決めている。
「済度される鬼神ー説教、縁起の中の鬼神ー」
『民謡』
これは18日古本屋で購入