橋本芳契氏からの手紙ー「北陸宗教文化」の時代ー

娘の学生時代にアルバイトとして図書カード作りを頼んだことがあった。
その時、葛籠に入った手紙や、引き出しに入っている手紙以外にも、古い手紙がどこかにおいてあったらしく、まとめてビニール袋に納めていった。
それが、いつからか本棚の隅っこに置いてあった。


昨日の晩、どんな手紙が入っているのか見た。
14,5年前の手紙群だった。


その中に「橋本芳契」さんの、
筆書きで達筆な手紙があった。
 

ええ……!!!


この方のお名前は存じ上げていた。
金沢大学で宗教を教えておいでた方だ。


なぜ、手紙があるのだろう?


達筆すぎて読み取れないのだが、読める範囲で推定すると、
誰かの葬儀で出会っているらしい。
戦後間もなく仏教の暗黒時代に研究会を立ち上げ研究会を始めた、
ことも書かれている。


接点があるとすれば、
しばらく「北陸宗教文化研究会」に入っていたことがあり、
発表したり機関誌に拙文を載せてもらったことがあった。
その関係としか考えられないし、
手紙があるということは面識もあったようだ。


高校の時、習った生物の橋本先生がその方のご子息だという噂はあった。


それらの記憶をいくつつなぎ合わせても、
橋本芳契先生と会った記憶と結びつかない。


確かに、一つのことを終えて、いつまでもそれを引きずっていたら、
次のことが出来ない。
それで、何かを終えるとすぐ忘れてしまうようにはしていた。


それにしても、橋本先生の手紙があるなんて…。


急に身近な人のような気がして、
インターネットで本の検索をした。
『わが世界観』とか
『唯摩経による仏教』とかを出版なさっておいでる。


唯摩経関係の本はない。


お手紙を頂いた人がいて、その人に著書があるのなら、せめて一冊ぐらいは持っていた方がいいと思う…。
そこで本を買うか買わないかの思索は先延ばしして、


「北陸宗教文化研究会」にどうして入り、なぜ止めたのかの記憶を辿ってみた。


思い出せないが誰かに誘われて入ったのだった。
そして1990年3月発行の「北陸宗教文化」第2号に「蓮如伝承の思想」の名で一文を書いている。
「思想」だもんね。


その翌年、教員を止め、
全く別の人生を歩み出した。
この研究会では、年1回7月7日に研究会をし、
その成果を雑誌に纏めるやり方をしていたと思うのだが、
その日は祠堂経のさなかで、顔出しできなくなったのだ。


研究誌の購読会員という手が残っていたのだろうが、
2号の他の論文は
李世民訪綽の一考察」(滋野井恬:金沢女子大教授)、
「原坦山における東と西の批判」(金森西叡・富山高専教授)で、
何のことかさっぱり分からない。
それで購読会員も断念した…
そんな気がする。


手紙も整理し、
手紙ファイルも作らないと行けない。


いっぱいやることがあるなぁー。