『能登国三十三観音のたび』を送り…資料の後始末

昨日の朝、郵便一番で献本を送った。
後始末をして、33観音の作業が終わる。


写真CDが60枚。
10枚から20枚入りののファイルが40冊以上。
その他のファイルもかなりある。


ファイルは、札所の関係者にあげようと一部コピーを取った。
結局、資料が将来も必要になるのは札所と関わる地域なのだ。


この膨大なデーターが我が家に残り続けても、
生かすことはできないだろう。
更に膨大な市町村史のデーター。
これらが有機的に活用されるとすれば
やはり、能登4郡、すなわち口能登2郡、奥能登2郡がまとまり、
そこを統括する博物館のような機関しかない。


今は無い物ねだりだから、
せめて写真はCD一枚にし、
御詠歌などは札所ごとにまとめてすっきりとした形でお渡ししたい。
そこまでやって、この仕事は終わるのだろう。

献本の反応

そう思いながら、賀状にブログの判押しなどをしていると、
次々と電話が入ってきた。
この雪なのに、
お昼頃には県内全域には献本が届いたようだ。


おおむね、感謝の言葉だったが、
関係札所を先ずお読みになって気づいた間違いを教えてくださった方もある。


原稿段階で、札所地区の人に読んでもらって正確を期そうと思ってはいたのだ。
だが出来なかったし、そこまでしなくともの思いもあった。
間違いの指摘があって、
完全に思い違いだったことに気づいたものもある。
 

それからは、訂正文作りに追われた。


間違いでひどかったのは、同じお寺を撮影したのに、
左側から写した雰囲気と右側から写したお寺の雰囲気で、
違うお寺とは全く気づかなかったのがあった。
一札所3ページが5ページとなり、
写真を増やしコラムを挿入する中で混同したようなのだが、
何度も見ているお寺なのに、
観察力のなさが、大事なところでまた出てしまった。


あとは、作業途中で合併した集落の名を、予測で書いてしまっていたところ。など…。


それらに気づいたり、指摘を受ける度に、訂正文を書き換え、コピーを取り、カッターで切り張りし、
もう一度同じ作業を繰り返し、
NPOに連絡したりでポストに入れたのが夜9時過ぎになっていた…。


書店に並んだものは、あっミスだとか、ヒッデエ間違いやなぁ、
と思ってもらうしかないのだろうか…。
悔しいけれど、ここまでが、現時点でやれる限界だった…。

完璧な資料を伝えたい。

後始末以前…の後始末で時が流れた。

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3月14日段階の見本。
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出版本の内容。