重要無形文化財「気多の鵜祭りの習俗」

 「青柏祭の曳山行事」指定から12年経って指定されたのが鵜祭だった。
能登のキリコ祭り、唐戸山相撲、お出で祭りなど、充分指定条件を満たしている行事はあると思うのだが、「鵜祭」になるとは思わなかった。


というのも、平成11年(1999)に県教育委員会から『石川の祭り・行事』報告書が出され、当時国指定だった5件、県指定無形14件を除き、その他から30件の代表的な民俗文化財選んで、報告書を作成しているのである。
この時、将来の国指定候補を選定する目的もある、と聞いていた。
時期的に、この報告書が出て、翌年選ばれたとすると手際がよすぎる。


ところが、面白いことに、県指定無形民俗文化財14件、この報告書で調査報告された30件に「鵜祭」が含まれていない。


市町村指定から県指定、さらに国指定となっていくのが筋のようなのだが、そうはならなかった。
案外こういうケースは多いのだ。


でも、文化財的価値が高いことを報告書、論文などで、誰かがアピールしないと何にもないところから、国指定になるわけがない。


鵜祭に関しては、「鵜祭考」「鵜祭の研究」(以上小倉学)、
聞き書き・鵜捕 神事と鵜捕部」(塚林康治)がある(『石川の祭り・行事』所収「関係文献目録」による)。
それに、同じ文化庁の肝いりで行われた、歴史の道調査報告書の『信仰の道』が平成10年(1998)に刊行され、「鵜祭の道」がそれを補う形となった。
『石川の祭り・行事』には、報告書の字数を超えるちゃんとした論文がある場合は、当然、そのコピーかダイジェストにしかならないのだから、それは省こうという了解があった。


ここまで揃えば、あとは、誰かが再度調査して、ゴーを出すだけだが、後で考えると、あの人達がそのために来て行ったのかと思い至る出来事があった。

 
それは、平成11年(1999)の12月16日、鵜祭神事が行われた日のことである。
私は、藩政期の地図を解読してもらうため、石川県立歴史博物館にいた。そこで文化庁調査官のK氏とT大学のS氏とに出会ったのである。
鵜祭調査の帰りだということだった。


K氏は以前から存じ上げていたが、S氏は著書で名を見るだけでお会いしたのは初めて。
虚空蔵信仰研究で知られた方で、虚空蔵菩薩の山・石動山を調べに鵜祭調査のK氏とおいでたのかと思っていた。
その翌年に国指定である。
妙に納得したのだが…