講義に望む心構え。「男祓え」行事

講演の依頼があると、ともかく、ハイ、と返事をする。
それから、細かい日程を考える。
そこで、ちょくちょく綱渡りが起こる。
今日は、昼食時間に充てる時間を用意していなかった。


それで、サンドイッチを持参し、小雨に煙る紅葉の山を見ながら、車の中で昼食をとった。
反対側の方が景色がいいのだった、と、
食べ出してから気づいたけれど、あれは稲穂の実る頃のことだった、
と思い直して食事を終え、
初冬の景色の中で食事ができた至福感に包まれながら会場に向かった。



講義の後、質問があった。
和田地区(門前町)の人達が数名来ておいでるのですが、その地区に関して何かありませんか?


あそこは、二つの山岳宗教エリアがせめぎ合う、重要なところでした。
5月10日に男払えという行事がありますが、羽咋の柳田の山伏穴(現在不明。楊田神社奥宮だろうか?)でも行われていた時代があり、
石動信仰の名残を伝える重要なものです。
私の見解ですが、多分「お床祓え」だと思います。


〈在所の人〉:昔は男だけのお祓いをしていました。
〈私〉:えーそうですか。それだったら「男祓え」でいいのかなア。
伊須流岐神社地は小山だけど、石動山と同じように、女人禁制を意識していたのかも知れないなァ…。


などのやりとりがあり、大変勉強になった。
ところが、講義の中では全く思い出さなかったのに、帰り道に、その地区に関する出来事を思い出してしまった。
①最近「平安仏(四天王)」数体の残欠が見つかったのだった。
境界を補強する資料となる。
②小さな集落なのに、南から旧薬師社(十二社・現在の高佐岐神社)、
八幡(阿弥陀)、伊須流岐と古代・中世的な神社が存在する。


このことに触れなくては講義は終わらないぞ…、
でも、もう、引き返せない。


平野修さんのエピソードが浮かんできた。
講義をする一~二週間前から、聴衆の人達をしっかり調べ、その人たちに相応しい講義をすることに心血を注がれたというエピソードである。


二日前から、どこで昼食をとろう??ばかりを考えているようじゃ、だめだ。