語り合うこと無く…

11月22日(月)、

多分この日、M・Hさんが50代前半で亡くなった。

数度お会いしただけの人だったが、某書店の店長をしておられ、書物・文化の話題が豊富で、ちょっとした会話に知的好奇心が刺激され、かけがえの無い人だった。

そのMさんから9月18日に電話が入った。

入退院を繰り替えなさっていた病室からかけているとのことで、

もう書店では会えない、との内用。

病が進行し、主治医から11月までの命と告げられたのだという

……

聞き間違いのような気もして、それからは、声から体調を知るべく、時々、電話で話した。

そのころMさんは電話を取り替えたため、扱い方がよく分からずに通じない時があったり、寝ておいでてコールに気づかないこともあったという。

10月には、Mさん宅と付近の様子をメールに添付写真として送ったこともあった。

 

ーその時、添付写真で送った柿が、下の写真ー。

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写真を見て、秋ごとに実をつけるのを楽しみしておいでた柿について、楽しそうにお話になった。

熟すとおいしいので、西山さん、取っていっていいよ…と話していたのが、10月10日だった。

 

折り返し電話が少なくなっていた頃、近くへ行くことがあったら、柿の写真を撮って添付するよ…と伝言していたが、それが適わないままの、Mさんとの別れだった。

 

11月30日、珍しく良い日和の1日、特に用事も無かったので、Mさんが育った家付近を散策し、手を合わせてきた。

 

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この柿近くに、H家のお墓がある。

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10月に撮った写真と同じ柿の木

 

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Mさんの里は、万行遺跡のすぐ側。

書店では、品切れになっていた『能登国三十三観音のたび』(NPO能登ネットワーク発行)を書棚に並べられないかなァー、との相談を受けたこともあった。

万行の清水観音は第6番札所…

七尾湾が望めるロマンの地で、夢を育ててこられたのだ。