蓮如上人を訪ねる-吉崎・加賀方面、[ひとこと]=御亭山、五色の梅、吉崎御退去碑、アカテガニ

五日(水)
台風一過ー早朝から道路に散った百日紅の葉を掃き、
7時半、八組坊守会一日研修の案内の為に待ち合わせ場所に向かう。

御亭山、五色の梅

金沢市才田、木越
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蓮如上人がお休みになったという御亭山があって、ポツポツと墓石があったのが
いつの間にか墓地に御亭山がある光景に変わっていた。
御亭山(金沢市才田)
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福千寺さん(金沢市木越町)
五色の梅

橋立小塩

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蓮如上人吉崎御退去の地
吉崎御退去をお決めになった時、あいにく若狭へ向かう船がなく、橋立へ向かい
そこから若狭~出口へと旅立たれた。
文明七年八月二十一日のことだったという。
橋立港・小塩の天崎へ渡る橋上の善女たち。
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北國御退去𦾔地の碑
以前来た時は木々に取り囲まれていたが
広々と見渡せるようになっていた。
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小塩天崎

吉崎

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鹿島の森

アカテガニ

文明六年、御坊が焼けた時、蟹があぶくをふいて消火に努めた。
その時、手にやけどを負い、両手の赤い「アカテガニ」(蓮如蟹)になったそうだ。

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鹿島の森から吉崎御坊を望む。
向かって右が西別院、左東別院
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西御坊。
東御坊は工事中。
文明三年「七月二十七日よりかたのごとく一宇を建立して・・・・・・(御文第一帖八通目)
五帖御文中、年号の入っている五十八通のうち、四十通が吉崎で記された。
文明七年八月二十一日焼失。
永正三年(一五〇六)廃坊。
蓮如上人二百五十回忌を機に延享三年(一七四六)西別院、翌年東別院吉崎山麓に建立される。
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東別院側の「宝物館」内
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高村光雲蓮如上人像
「慧燈高顯」
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蓮如上人お腰掛けの石
文明六年絵図にすでに載るという。
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鹿島の森

山田光教寺跡(光闡坊)

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お米屋敷跡。
享禄四年(一五三一)、一家衆が超勝寺・本覚寺本願寺勢との合戦(享禄の錯乱、大小一揆)で焼失した米倉の米-焼米が大雨の跡など地表近くに浮いてくることがあるという。
その地に「蓮如上人御腰掛石並枕石」がある。
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