『信後相續 歓喜嘆』
『信後相續 歓喜嘆』については『妙好人 千代尼』(法藏館)に次のように書いた。
P42
この帳冊(「御国政ニ付き申し上げ候帳冊」)を上申した村松家は真宗門徒ではなく、門徒たちの報恩の歓びが、むしろ農作業の励みになるということについて理解できなかったのでしょうが、このままでは、農作業に影響するので何とかしなくては、と藩に申し立てているのです。この「祠堂経」(永代経)や親鸞命日にかけての「報恩講」を中心に、多くの法座がもたれ、談義本が作成され、繰り返し繰り返し説教が語られていきます。
また、長い踊りに用いられた唄本『信後相続歓喜嘆』が刊行されたのが、上申の三年前、天保二年(一八三一)のことでした。これは、 もっとも早く刊行された盆踊り唄集です。
この時の踊りは、七・七の歌詞が長々と続く「段もの」で、長い踊りのために下駄の歯がすり減ることから「下駄減らし」ともいいました。この本に収載されている段ものの題は、「茶呑咄しの意味」「十九・二十願の意味」「他力門機法一体」「無常は今といふ事」などで、すべてが真宗の教えを説く歌詞です。
昭和三十年代ごろまで各地に伝承されていた「茶呑咄しの意味」の歌詞は、
爰に同行の茶呑の咄し 聞バ誠に御縁になるぞ
廿八日御日がらなれば 今日はゆるりと御茶呑まひか
あまり渡世の世話敷ままに 売の買ので日夜を明し、
で始まり、
かゝる御恩を御恩と知らバ 善につけても悪敷に附て
思ひだしては行住坐臥に 唱へまひかや只南無阿ミ陀仏
と歌い終わる、百六十一句に及ぶ踊り歌です。
踊りが行われるたびに音頭取りの歌声に聞き惚れ、踊りを楽しみながら共に歌詞を口ずさみ、教えが身にしみこんでいく。このような身近な教化が、ことあるごとに行われていたのです
この『歓喜嘆』を、もう少し丁寧に分析する。
表紙―『信後相續 歓喜嘆』―かつて盆踊りにここに載る歌が歌われており、盆踊りの歌集とみるのが普通だろうし、私も今までそう思い込んでいた。
最初のページ。誤りもあろうが、以下一応の読み。
呉竹の直なる神の宮いちかき
八幡の宇満やに玉泉堂何某といへる人
信後相續に付歓喜嘆とやいへる一巻を
……
天保二年(※1831) 辛卯乃春
引き続き目次。
一 茶呑み咄しの意味
一 十九二十願の意味
一 高祖聖人御苦労の事
一 ものに雑る雑ぬの辨
一 他力門機法一躰
一 娘二心の辨
一 無常ハいあまといふ事
一 姿に捨て心に捨ぬ現世祈り
一 十九二十種違の辨
一 口に言ぬ心に知つた梅の香
一 親の意見聞違の息子
一 火と水に疑ひ晴た辨
一 當流にて聞違の同行
一 口に言れて心に知れぬ鷺烏
一 善知識異見の辨
一 旅籠屋町の喩
このうち、本書に載るのは
○ 茶呑咄しの意味
○ 御寺参り小言の辨
○ 親の意見聞違の息子
○ 十九二十の願の意味
○ 口にいはれぬ心に知つた梅の香ひ
の五話。
十三の踊り文句はタイトルのみである。
それぞれは七五、一句で
○茶呑咄……一六一句
○御寺参り……一三五句
○親の意見……一二五句
○一九二〇願……一三八句
○口に……一〇八句の長い歌で教義が説かれている。
しろし召すぞへ こゝろに御請 出来た験ハ佛恩報謝
勇ませうぞへ いのちの内ハ 信か不信ハ色にも出て
ちよと茶呑の咄に寄れど 世間咄や芝居の咄し
嫁の噂や 姑のうわさ 米が高値の銭設ないの
こゝできつたハ 彼是で突た 何の角の迚役にもたゝぬ
あたに唇る動かすよりも なにゝ付ても浅間敷事が
むねと心に合点がいかば 何を御縁に致してなりと
思ひ出してハ行住坐臥に 唱へまいかヘ實御六字を
信後相續 歓喜嘆 終り
二十五丁目
歓喜嘆……の最終ページ
信得たる
しるしはどこに
それ
そこに
ほしい
おしいの
下に
それ
〳〵
深い。
次は
「御當流一すじ道」
述
一書物ハ書物の見やうによりて其本を
見失ふといへり況や佛法の大海におひ
てをや唯聞にしかず今此いろは哥ひとすじ
道もかやうの義ハ俗人の書ものに非ず
恐れ多き事なりと見る人も有べし
尤至極なり併ながら行住坐臥時所諸
縁をろんぜず何を御縁にして成共御恩を
御當流順仰一すじ道繪圖目録
一 常盤木松之図 一 櫻之花盛之圖
一 鶴龜齢之圖 一 櫻之元江鶴集ル之圖
一 大盤石之圖 一 岩之上地蓮華生出之圖
一 岩之岸江荒波之図 一 五艘大願舟之圖
一 舟中人物之圖 一 川邊蓮華之圖
一 蓮之葉之上露之圖 一 空中宮殿之圖
一 日輪光明之圖 一 四方卦引之圖
右目録終リ
法然上人 月かげのいたらぬ里ハなけねども
ながむる人のこゝろにぞすむ
真如堂 弥陀たのむ人ハ雨夜の月なれや
雲はれねども西へこそゆけ
天照大神宮 千はやふる玉のすたれを巻あげて
念仏の聲をきくぞうれしき
法然上人 知らせたや南無阿ミた仏の深き利を
とてもとなふうるひとのこゝろに
慈鎮和尚 たゝらふむ鋳師の鋳かたつちなれど
中にこがねのほとけこそでき
聖徳太子の御歌ニ
いそげ人
弥陀の御舟の
通う
(世に
乗おくれなバ
誰かわたさん)
一 蓮の葉の上における露の形ハ人の命の危き
事電光とも朝露の夢まぼろしともあり出る
息ハ入を待ぬならひともあれバ急も早も信心
決定して此度ハ安養の往生を遂よと有常々
の御教示を評し画書たるもの也
歌ニ きのふ見し人ハいづくとけふ問へは
谷吹あらし嶺のまつ風
絵の大意と哥が、目録の14図に従って記されている。
引用は、目録11番目の「一 蓮之葉之露之圖」。絵は無く
意図に沿って絵がかれば、文は、おのずから絵解き、解説、法話の材料となる。
無宿善の人
鞭打(ぶて)どたたけど性根が
つかぬいかに
迷いの身じゃとても
宿善到来の人
鞭打れたゝかれ
今目が覚て
性根づいたる
ふしぎさに(よ)
不分明の人
此身此まゝ此気のなりと
聞どどこやらあんじられ
御當流いろは歌序
一 此いろは哥は當流御安心の意味を明らかに
御聞かせ預かり候まゝを書きあらはしたる小冊也
御流れを汲奉る御同行□御互に大事の中
の大事と有ば飽迄も御相談申度候迷を離て
佛果に至るべき程の大騒事なればたや
すく難聞間難中之難共無過斯難共
(説給へり合点行ざる処ハ善同行に能〃相尋て
片時も早く急で信心決定有て我人一同に
往生極楽の本意を遂げ奉れと有御教示なれば
也若此度間違悪趣に沈みなバ多百千劫にも
取返し難しと有れば也たま〳〵宿善開発して信心
を会得し報土往生の素懐を遂げ奉らバ誠に人涯
受性の大慶是に過たる仕合事ハあらじ)
がてんゆかねバ
ゆくまで聞(きき)やれ
きけばがてんの
ゆく御法
がてんしたのが
聞いたじやなひが
それハいふたの
おぼへたの
か[※]でんせいとは言葉じゃ
いへど
ふしぎ〳〵の
外ハない
京師書林 三條通冨小路西入町
北村太助