「盆の墓掃除と白石拾い―消滅していく習俗の意味とは―」加藤享子氏と「まなご」

今日、加藤享子氏が『日本民俗学』290号(2017年5月)に発表なさった「盆の墓掃除と白石拾いー消滅していく習俗の意味とは―」の抜刷、
及び「富山県南砺市(旧福光町)刀利村、下小屋の信仰生活」(『とやま民俗』89号・平成30年1月発行)抜刷をいただいた。
どちらも、興味深く、何度か近くへ行ったこともあり、わくわくして読んだ。
特に「白石拾い」は小矢部川上流域の白い石を置く村の詳細な調査報告分析で、さらに富山県東北部海岸地帯、同南端の山間地帯、新潟の糸魚川流域の事例が挙げられており、ひたすら感心して読ませていただいているうちに、似た例を見た記憶がよみがえってきた。
 お盆にお墓の前に石を置く風習があって、何が何だか分からないが、ともかくそのようなことをしているという話だったような……。
大概は、辞書代わりにしているこのブログに載せているので、探してみるが、これだけ長く書いていると、キーワードが違うともう見つけ出せない。
 墓石で見つからず、墓地で検索して見つけた。
2013年9月13日の記事で→
―「マナゴ」―お盆の風習ーとある。

28日能登空港で行われた「いしかわを知る講座」高山文雄先生の
能登の民話とその背景」を聞いてきた。
民話とは直接関係ないのだがと前置きされ、「マナゴ」という習俗について話された。
関係ないということであったが、民話の主人公はしばしば、異界・賽と深く関わっていると話されたその延長線上の例話で、
マナゴとは、直径2センチほどの綺麗な石(錦石)のことである。
お盆になると、そのマナゴを一升から二升ほど、墓に供えるのだそうだ。
先生は輪島市鳳至町の方で、隣に輪島市河井町の方が聞いておられ、
「どこの話でしょうね、先生の縁が深い穴水町の海辺の話でしょうか」
私も「初めて聞く話ですね…」などとささやいていたのだが、
師匠寺の住職も、「どうしてそういう風習があるのか分からない…」とおっしゃっておいでる、というそのお寺は鳳至町のお寺なので、そこの地域だけの風習なのだ。
マサゴは砂だが、マナゴは小石なのかも知れない。
子供のころ、泳ぎに行ったりした折など、マナゴを少しずつ持ち帰られたそうだ。
ちなみに、先生は大谷派寺院の門徒さんである。

この時の記事では、マナゴは後で見に行くことにして……と、
輪島市鳳至墓地に9月13日撮影した写真を2枚付け加えている。
今回は、その撮った写真をすべて載せる。
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早速、高山文雄さんには論文があることを連絡した。
驚いておられた。
加藤さんには、こちらが元気な間に、現地へ案内する旨を伝えなければならない。

墓地の記事中には、2013年12月17日の深江墓地、2015年4月21日一ノ宮の墓地に、砂利(玉石)を敷いた墓域が写っている。

そして、当寺の墓地にも、盆前になると、歩くのがやっとになられるまでお年寄り(女性)が、盆前にリヤカーで玉砂利を運んでこられ、長い時間をかけて敷き詰められなさる光景があった。
海辺の方だった……。