白川街道~飛騨海道
18日(木)
行徳寺さんー赤尾道宗のお寺ー
前にお寄りしたときは、茅の吹き替え中だった。
もともと綺麗なお寺だが、増して綺麗になっている。
翌日おじゃまする旨をお伝えし、手を合わせて通過。
ダム
飛弾国分寺
三重塔
左甚五郎碑
京都・東山の墓地を歩いていたとき、
飛弾甚五郎墓名に出会ったことがある。
飛弾の甚五郎が「ひだりじんごろう」になったのかと考えた。
あり得ることだ。
19日(金)
古川
三ツ寺参りの円光寺さん
気多若宮近く
平瀬橋から
このあたりはまだ田植え前
臥龍
当寺の山号、臥龍の名があちこちに見えてきた。
帰って調べると、臥龍桜があり、
飛弾一ノ宮水無瀬神社がすごい。
どれだけ時間があっても足りないエリア。
坂道が続いて、どうも違うところを走っているらしいと気付き、戻ってすぐのところ。
そのまま行っていれば益田というところに行く。
益田高校出身の野尻さんという先輩が学生時代の同下宿においでた。
仲良しだった。
カーナビは高速中心にルートを提示してくるので、昔の道を走りたい者には使い勝手が悪い。
郡上市高鷲
11時頃には五箇山へたどり着きたかったのだが、遅れそうだったので荘川から高速に入った。
ナビは岐阜方面へと音声で導く。
走っている内に、ひるがの高原とか、高鷲という聞いたことのないインター名が出てくる、どうも違うところを走っているようだ。
高鷲という所でインターを出てみると、なんと山の中。
郡上市高鷲、これより鷲見上野の標識が在り、さらに複雑な高原道を走ったようだ。
おかげで、こんな綺麗な花畠に出会った。
帰って家人に写真を見せるとチューリップ畑だという。
その横は芝桜だという。フーン…。
帰雲城跡
桂湖
蓮如上人水があるのだが、閉鎖されていて入れなかった。
2013年5月9日(木)に訪ねている。→蓮如上人清水
平、平橋から大牧・井波方面
飛弾の人
高山短大
学生時代一緒に下宿生活を送った先輩に郡上高校(桝田さん)、益田高校(野尻さん)出身の人たちがいる。クラブも一緒だった。
同級生に斐太高出身者(岩島一志君)がいた。彼とは二人きりの下宿だったので古い賀状を便りに高山下切町の実家を探してみたことがあった。
今回もそのあたりを通っている。
前日の高山別院でのお斎の時、隣に座った方が三重出身の方だとおっしゃる。
大学の工学部生は1年は静岡、2年から浜松に移るので、静岡の下宿部屋が空く。
やはりクラブで仲良くしていた同級生が移ったのでその部屋に入ったのだが、その友(有川寛君)が津高の出身だった。
高山へ来て親しくしていた友の面影が次々に浮かんできた。
そこで、こちらは大谷・院の先輩になるのだが、高山短大で教員をしていた嶋口儀秋さんに会ってみようと思った。
短大へ行って訪ねると、
15年前から勤めておいでる方が、その名は聞いたことがないとおっしゃる。
『論集日本人の生活と信仰 大谷大学国史学会編』(同朋社出版、1979年刊)に国史関係の9人が執筆されていて、そのお一人だった。当時は高山短大助教授である。
この論集は、昭和53年に大谷大学国史学会は50週年を迎えた折の記念論集であり、この時の記念パーティに参加した(ような)記憶がある。
友人の広岡君にどういう人が論集に書くのか、と訪ねた。
彼は五来先生が期待している人たちが書いたのだと答えた。
私としては広岡を初め何人もいる卒業生、研究を継続している人もいるのに、何人かが選ばれることの不思議さのような思いがあった。
当時の私は宇出津高校の教員だった。
卒業生の予餞会にギター弾き語りのワンステージを持ったこともあり、国史関係のパーティでも弾き語りをしている写真があるが、この会だったのだろう。
その時、嶋口さんをすごい人なんだ、と思ったはずだ。
時は流れた。
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