宝達山、峰冷山

3月15日、涅槃。神社で弓射などが行われ、例年、年中行事として新聞に載るが、真言天台寺院では午前中に涅槃行事、昼のお斎があって、午後弓射行事となるエリア一連行事の、その一つなのである。
真宗では15日を中心として祠堂経(永代経)を営むところが多い。
当寺は、春勧化、お彼岸があるため、15日の行事はない。

ということで、今年は宝達志水町極楽寺さんへお話しにうかがった、。
能登一の高山・宝達山(637.1メートル)の麓、北西に位置し、山号は?と、おたずねしたら、すぐ寺標を見に行ってくださった方がいて(有り難うございました)、
峰冷山だとわかった。これが宝達の別名である。

珠洲・鳳至の山岳宗教の拠点、宝立山の別名が宝嶺山であり、麓の鈴屋・長光寺の山号が冷谷山である。
水の源が「冷」であることは、重要な要素であって、山岳宗教の根本に「冷」があるのかも知れない。

蓮如上人が歩かれた、宝達山麓一帯。
宝達山の富山寄りには俊寛伝説の熊野があり、気多が宝達の遙拝所でもある。
宝達山岳信仰は、謎につつまれている。
その地で、時を過ごすことが出来た。
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気多、随身門(2008年2月2日撮影)。
平国祭(通称・お出で祭り-七尾地区の呼称)の一行が気多へ帰るときは、この随身門を潜って帰社する。
門の真正面に、宝達山がある。
反対側に「入らずの森」があり、そこには二基の古墳がある。その入口はやはり宝達山に向いているという(五来重先生談)。
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ところが、気多のすぐ東にある大己貴像石神社ー地震石があることでしられ、折口信夫「古代研究」の巻頭を飾る気多のタブの写真は、この神社の宮森だとの説があるーは、宝達山に向いておらず、真正面には白山がある(2008年2月2日撮影)。
遙拝所の展開、本社末社成立論に一石を投じそうな、古い神社の並びようである。
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宝達山頂からの押水方面、日本海(2007年8月25日撮影)。
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滝港、滝崎近くからの宝達山(2010年7月19日撮影)
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海士崎からの宝達山(2017年1月7日撮影)