板碑・五輪のある風景
いずれも志賀町。
7日撮影。
五輪(火輪)の載るお墓
虎石墓
椿道
大日如来陽刻板碑
板碑・五輪群
以下の板碑・五輪塔群についてかつて新聞紙上でコメントしたことがある。
どのように話したのか、その記事を見ないと分からないが、今度訪ねてみて、おそらくその時とは印象が違っている(ような気がする)。
明日検証する。
8日、ブログを調べるが新聞が見つからない。
切り抜きを見ると、2005年11月4日の記事だった。
まだブログを始めていない時で、
始めていたとしても、しばらくの間は新聞記事を貼り付けるなどのテクニックを身につけていないのだから、載っているわけが無い。
ついこの前のように記憶していてのだが、10年以上前の出来事だったのだ。
どこか違うと感じたのは、石垣に板碑や五輪が組み込まれているはずだった。
それが一角にまとまっていたので、いつの間か移動なさったのかなぁ、と昨日は見たのだ。
新聞を見ると、宮下記者さんと見に行ったときから、このような状態だったことが写真で分かる。
どこかで見た「石垣の石仏」が記憶に重なっていたのだろう。
違和感はそこにあったのだが、の曖昧さをまた知る。
これがその時の新聞記事。(北國新聞、11月4日・金)メモには前日取材とある。
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